山の日レポート
自然がライフワーク
「TOKYOにも山がある!」第8回 初詣は愛宕山「出世の石段!」
2024.01.01
明治神宮、神田明神などの人数とは比較にならないが愛宕神社への初詣もかなりの人数になる。その理由の一つは神社に登る急峻な石段が「出世の石段」としてサラリーマンに人気があるからだ。石段の傾斜は40度、86段ある。40度はスキーのジャンプ台の角度で、上に立ったら足がすくむ。手すりがなければ年配者は上り下りはできない。おそらく東京中で最もきつい石段だろう。
その急峻な石段が「出世の石段」と呼ばれるのはちょっと古い話になる。徳川家光が芝増上寺からの帰りにこの石段の下を通った。石段の上に梅の花が咲いているのを見た家光は「誰かあの梅を採ってまいれ!」と言ったとか。急な石段を見て誰もが躊躇したが四国丸亀藩の曲垣平九郎がさっそうと馬をのりこなして梅を手折って家光に差し出したという。「あっぱれ、平九郎!」と言ったかどうかわからないが平九郎は大出世して名は全国に知れ渡ったという。
赤い鳥居のある前の道は虎ノ門ヒルズから芝増上寺への道であるが、愛宕山の下を通るトンネルを抜けるとつい最近できた麻布台ヒルズや東京タワーに向う国道一号線に出る。前の絵図には3棟の超高層ビルしか描いてないが官庁やオフィスビルが並んでいる日本有数のビジネス街で、サラリーマンの町である。昔私は86段を1分ちょっとで駆け上がったのだが・・・まったく出世しなかったなぁ!
後で知ったのだがこの石段を下ると運気は下るので、別コースから下らなければいけないそうだ。私は登るよりも恐ろしい下りも駆け下ったので出世しなかったのだ。失敗した。
山頂から下る道は、傾斜の緩い女坂もあるが、愛宕神社の境内を抜けNHKの放送博物館の前に出てエレベーターの項に降りるか、急坂を下って神谷町か方がおもしろい。エレベーターで降りてもトンネルをくぐって神谷町にでるのは簡単である。
ところで、このトンネル、自然の地形の下をくぐるものとしては私の知る限りでは都内唯一の存在ではなかろうか。他のトンネルをご存じの方がおられたら教えてください。
出世の石段の前に慈恵医大病院がある。55歳の時にこの病院に入院し「ああこれで出世はもうないなあ?」と11階の窓から東京タワーや高層ビルの夜景を見ていた覚えがある。このあたり高層ビルだらけで、26mの高さの愛宕山はそこだけが緑の凹地になっている感じである。
上の写真で高層ビルの下に門が見えるが、青松禅寺の門である。低い場所のように見えるが門の奥の本堂のある場所は愛宕山から続く高台で海まで見える眺望の良い場所だった。今はよほど高い場所に登らなければ東京の街を眺めることはできないが、江戸の時代には愛宕山一帯は都内最高峰だった。
勝海舟と西郷隆盛が江戸の無血開城を論議したのは田町駅の近くにあった薩摩藩邸とされている。長い会談の間に勝海舟は愛宕山の上に西郷隆盛を呼んで江戸の町を見せ、「ここを火の海にするのか?」と諭した。高台から江戸の街を初めて見た西郷は勝海舟の無血開城を受け入れたという。
もう一つ歴史的なことが愛宕山山頂で行われた。「JOAK,JOAK こちらは東京放送局であります」1925年7月に日本初のラジオ放送が行われた。まだ電波が弱かったので高度26mの愛宕山の上に45mの鉄塔をたて遠くまで電波を届けたという。ここは現在のNHK放送博物館になっており、放送のふるさとと親しまれている。
私は愛宕山に登ったあと東京タワーを望みながら増上寺の前を通って、東京で一番大きな前方後円墳である「芝丸山古墳」へ登りに行く事が多い。徳川さんの菩提寺である増上寺の敷地はとてつもなく広く、明治6年まではこの古墳も東京タワーも増上寺の境内だった。
東京の中心地に古墳があることはあまり知られていない。しかし前回の代官山の回で見たように川沿いの高台には古墳が数多くある。次回は多摩川沿いにある古墳山を紹介したい。
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