山の日レポート
自然がライフワーク
「TOKYOにも山がある!」第6回 武蔵野の「ヤマ」
2023.12.01
牧野富太郎博士は「雑草という草はない!」と言った。それと同じで「雑木」という木もない。明治の自然派の文学者たちが「武蔵野は雑木林が美しい!」などと言って雑木という言葉を定着させていったのだ。しかし武蔵野の平地林研究の第一人者犬井正博士は「農民たちは決して雑木林などとは呼ばない!」という。農民たちは平地林を「ヤマ」と呼んでいるそうだ。
「おジイさんはヤマに柴刈りに、おバアさんは川に洗濯に!」のあの「ヤマ」である。
その「ヤマ」がにわかに注目を集めている。2023年7月国連食糧農業機関(FAO)が「武蔵野の落ち葉堆肥農法」を「世界農業遺産」として認定した。日本ではすでに「トキと共生する佐渡の里山」などが認定されており、15カ所目として三富(さんとめ)の「ヤマ」の落ち葉農法が認定されたからだ。
世界農業遺産認定にかかわった犬井博士の「土と肥しと微生物」という本には、武蔵野といっても落ち葉を大量に落とす雑木林(ヤマ)は工場や宅地開発などでほぼ壊滅したとある。「雑木なら切り払っても構わないだろう」の論理である。現在わずかに残っているのは三富地域のごく狭い地域だけである。
「東京の超低山」探しをしている私としてはどうしてもこの「ヤマ」を見たくなった。三富は川越に近い埼玉県だが「武蔵野台地」に県境などない。この際「東京の山」に組み入れてもまあいいだろう。東武東上線の「みずほ台」という駅からケヤキ並木の川越街道を1時間ほど歩いて三富のヤマに向かった。
三富地域は川越街道に並行した地域だが、その地割が独特だ。元禄7年(1694)川越藩主となった柳沢吉保は入会地であった三富の農民に5町歩(5ha)の耕地を配分した。1戸分の間口は40間(約72m)奥行き375間(約675m)、そこに幅6間(10.8m)の道路を通し、両側にそれぞれ屋敷・耕地・平地林(ヤマ)を短冊形に配置した。
現地の看板に短冊形の宅地が描かれているが、さらに詳しくgoogle earth でその様子をみた。ケヤキ並木を歩いてもまったくわからないが空から見るとこんな景色なのだ。均等に配分するには細長くした方が良かったのだろうが、実際の使い勝手はどうだったのだろう。この画像で見ると濃い色の森が落ち葉を採るための「ヤマ」である。画像からはかなりの「ヤマ」が工場などに代わっていることがわかる。落ち葉堆肥農法を続けるのは大変な努力が要りそうだ。
ある一軒の農園を訪ねた。道路に面する間口は狭いが、中に入るとまず堀った芋を洗ったり箱詰めをする作業場がある。作業場を抜けると自宅の屋敷がありさらに奥に入るとハウスがあった。作業をしている人に「ヤマ」を見せてもらってもいいですかと聞くと
「遠いよ、500mほどあるから!」という。
なんと敷地内に500mもの道がつけられているのだ。道路に面した間口からは考えられないほどのひろさだ。両側の細長い芋畑はすでに収穫の後だったが、トラクターできれいに整地されている。長い耕地の方がトラクターの切り返しが少なくて済むから効率的なのかもしれない。
途中に先祖代々にお墓がある。敷地内にはお墓のほかにお稲荷さんの社もある。
500m歩いて「ヤマ」に到達した。クヌギ、コナラなどの林があり、ここが落ち葉の供給源になっている。手前には落ち葉があるが奥にあるのは熟成した「ツクテ」と呼ばれる堆肥である。堆肥の置き場は「ツクテッパ」と呼ぶそうだ。これが川越のおいしいサツマイモのもとになる魔法の堆肥なのだ。
何軒かの農家にお邪魔して「世界遺産おめでとうございます!」とお祝いを言った。
化学肥料を使わず、手間のかかる落ち葉堆肥を使って土づくりをしてサツマイモなどを作る農法は現代社会のSDGsにもっとも寄与していると私は考えている。この持続可能な農業が世界でも認められたというのは誠にめでたい、地元の皆さんの長年の労苦が報われて喜んでいると思ったからだ。
しかし地元の方々の反応は、
「これから大変ですよ。ヤマを残している農家はもうほんとうに少ないんだから!」
「高齢者ばかりになって、こんな大変な農家を継ぐ者はほとんどいない」などの声があった。
「雑木林」などと呼ばれ次々と工場や産廃用地、さらに墓苑などに代わっていった背景には、落葉堆肥農法など前近代的と排除された歴史がある。文豪たちは「雑木林の風景」で郷愁をかきたてたが、農家は郷愁では持続可能な農業をやっていくことはできない。
SDGs推進派にとって「武蔵野の落ち葉堆肥農法」の世界遺産認定は大歓迎だろうが、当の農家には戸惑いもあるようだ。今後農家が誇りをもって「ヤマ」を維持できる仕組みを考えないと、過去に歩んだ武蔵野の自然の破壊の歴史のように流れてしまう。これからが行政の知恵の出しどころだろう。
三富の開拓地割遺跡が三富山多福寺にあった。この寺は地元の方々の菩提寺である。多くの人たちの血と汗で維持されてきた「ヤマ」、これから先の維持管理を願いながら、夕暮れ迫る「ヤマ」を後にした。
本日の歩行距離は2万歩を越えたが「ヤマ」の高低差ゼロ!
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