
山の日レポート
通信員レポート
ミスター富士山手記【運命の生涯登山】 5.中年時代
2025.12.18
文・写真提供 實川欣伸さん
富士山初登頂は意外にも遅く1985年、42歳の時、家族5人で初登頂。以降、家族全員揃って登ったというのは無い。2度目の富士山は1987年、長女と二男と3人で登頂した。3人の子供たちとは、交互に10回は登っただろう。無理やり連れて行ったこともあったかもしれない。

長女と次男との2回目の富士山山頂
1990年、勤務していた会社に、中国から研修生20人が1年交代で毎年やってきた。大型免許を持っていたので、私が社宅と工場間の送迎をしていた。すると、彼らが「富士山に登りたい」と言い始めた。私は、何とか実現させてあげたいと思い、ボランティアで富士山案内役を買って出た。私の車で4~5人ずつ、何日かに分けて連れて行った。毎年20人位来日し、日本人社員も「登りたい」というので、年に5~6回は富士山を案内した。中国人の来日は3年間続き、約60人の中国人と一緒に富士山頂に立った。富士山だけでなく、富士五湖、箱根、伊豆半島などマイクロバスで観光ガイドもした。みんなが喜ぶ顔を見ると疲れも吹き飛んだ。

中国人研修生との思い出 富士吉田富士山開山祭
彼らとの懐かしい思い出がいっぱい詰まったアルバムが、今でも山ほど残っている。いろんな中国人がいた。山頂で「實川さん、中国はどっち?」と聞かれ、あっちだよと指をさすと、国に残した子供の名前を叫んで泣く女性。また、山頂に着いた途端、地にひれ伏して泣き出した若い子は「登れた嬉しさから感動して泣いた」と言った。彼らは素直に、日本一の富士山に登頂した事に感動してくれる。だから、案内する事を続けられたのだろう。素朴で純粋な彼らを見てとても感動した。私は中国語は片言しか喋れなかったが、山を登るのに言葉はいらなかった。

中国人研修生との思い出 五合目
「どうしてこれほど富士山に取り憑かれたのか?」とよく聞かれるが、冷静に考えてみると、
“ 中国人研修生との思い出を、この富士山でいっぱい作った体験があったからだ ” そう思う。
バブルが弾けて研修生は来なくなったのだが、その後も研修生との思い出が残る富士山に足が向くようになり、近隣の山は忘れ富士登山に没頭していった。


中国人研修生との思い出 富士山山頂

中国人研修生との思い出 富士山山頂
1993年6月、富士宮観光協会の招待で台湾の登山家が富士山4連続登頂を記録した。当時私の、富士山登頂回数は35回程度だったが、何故日本人でなく台湾人が達成したのか?と思い、同年8月、彼の記録を超える「5連続登頂」に挑戦した。しかし、3登頂目に記録の為のカメラを落とし裏蓋が開いてしまって断念(当時はフィルム)。
2度目の挑戦は台風接近で大雨の為2往復目で中止。
8月末、3度目の挑戦で無事に「5連続登頂」を29時間51分で達成した。
そして続けざまに、「4登山道1筆登山」に挑戦。御殿場口~須走口~吉田口~富士宮の登山道を登り下山道を下るのだ。9月5日8時38分御殿場口5合目スタート。残暑厳しく強い日差しに耐えながら歩く。
14時7分御殿場口山頂。お鉢を須走口に回り14時22分須走下山道を下山。走り出すと止まらない。砂払い5合目から樹林帯を抜け、須走口5合目に15時44分着~菊屋で夕食。16時43分山頂目指して出発。樹林帯のトリカブトの花に心癒されながら21時52分頂上の久須志神社着。すぐに吉田口へ下山開始。水が少なく飲むのを我慢していたが運良く7合目の山小屋で水分補給ができ元気を取り戻して吉田口5合目1時49分着。10分休み、自販機で水を買い登山開始。6時44分久須志神社着~7時19分富士山山頂剣ヶ峰3776m着。霧雨の中、富士宮口ブル道を下り9時50分5合目着~富士宮口登頂を開始。霧雨で視界が悪く必死で登る。13時15分浅間大社奥宮登頂~御殿場口山頂~13時19分下山開始。赤岩山荘まで突風で何度も吹き飛ばされそうになり必死で歩く。大砂走は旋風が吹きまくり生きた心地がしない恐ろしい光景だった。6合目辺りで疲労と寝不足で“幻覚”が現れ、遠くを走っていたバギー車が急に近くに見えたり、自分の位置より低いはずの箱根の山々が高く聳えて見えたり、右に見える双子山が遠くに飛んで行ったり目の前に飛んで来たり、同じ所を歩いて前に進んでなかったり、頬をつねったり叩いたりし、なんとか我に返り15時29分5合目着。4登山道連続一筆登山を30時間52分で完歩した。
台湾登山家の記録を破り「富士登頂30時間で5回」の記事が1993年8月27日付の読売新聞にて掲載された。
中国人研修生との登頂回数を重ねていた頃「そんなに登るなら記録に挑戦すれば?」と同僚にたき付けられ、当時、富士登頂回数記録に挑戦中の人に偶然出会ったこともあり、自分でもやってみる気になった。
基本的には“登山回数”なのだが、回数だけでなく富士山を絡めたいろんな記録を作ってみようと思い立った。この4登山道一筆登山以降、登山の基本海抜ゼロメートルからの登頂や、東京駅からだとか伊豆半島一周だとか連続登頂だとか、日本一の富士山に向かって新たな冒険が始まった。
長きに渡る記録への幕開けだ。
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