
山の日レポート
通信員レポート
圧倒される屋久島の自然美 ~健やかに生きるヒント~
2025.11.16
文・写真提供 岩﨑直子さん(東京女子医大・医師)
大学を卒業して2年目1984年頃の夏、元ワンダーフォーゲル部の後輩が山に誘ってくれた。一度は登山なるものをしてみたい!と思っていたので即決。神田に連れて行かれて初めての登山靴を選んで貰い、いざ北アルプスへ。河童橋に到着し、「ここから登るよ、一本道だから先に行っていいよ」と言われ、歩き始めた時、紀州の山を歩いた思い出が蘇ってきた。体力もあったので、どんどん抜いてあっという間に涸沢に到着。紀州の山しか見たことが無い私にとって、涸沢から見上げる北アルプスは写真で見た外国の風景の様だった。初めて泊まった山小屋も楽しかった。翌朝は槍に向かう予定であったがあいにく雨となり、危険だから諦めましょうと下山。しかし、増水のため沢の水嵩がどんどん増して、最後は川ような所を歩いたりしたが、何とか無事松本に到着できた。
その後は山どころではなくなり、あっという間に時が過ぎて2023年。

屋久島の川と山
お世話になった女性の元教授が「縄文杉にいってきましたよ!」と話されたのを聞いて以来、「縄文杉」というインパクトのある言葉がずっと耳に残っていた。また、その頃に偶然にも白谷雲水狭の絵葉書を見かけ、こんなに美しくて神秘的なところが日本にあるのかと見入ってしまった。とはいえ、「屋久島なんてそんな遠い所には行けそうもない」というのが正直な気持ちであった。2023年には定年を迎えるので、それからは今迄できなかったことをやってみよう、と思っていた矢先、2023年5月に鹿児島市で学会が開催されることが判った。遂に気が熟し、今しかないと思い立って縄文杉行きを計画。失礼ながらあまり運動されない還暦過ぎの元上司が行ってきたというお話、ガイドブックにはハイキングと書かれていたことから「楽勝!」と安易な解釈に陥り、学会終了後の土曜日に屋久島に移動し、日曜早朝スタートのトレッキングツアーに参加し同日の最終便で東京に戻るという計画を立てた。縄文杉ツアーの参加者は、20歳台の女性3名と65歳の私の4名。これが私の山デビューになるとは、全く予想だにしていなかった。自分の都合でお尻が決まっているためガイドさんの歩行速度も速く、行きのトロッコ道は余裕だったが、突然始まった大株歩道の初めて見る勾配に狼狽。何とか付いて登っていったが、ウィルソン株を過ぎた更なる急勾配でとうとう足が上がらなくなってしまった。途中、手すりのない橋でも眩暈がして転落しそうな気がしていたし、無理してこのまま行って本当に川に落ちたら帰れないと思い、残念だけれどもリタイアを宣言した。そして、その場で皆さんが戻るまで3時間ほど待機。折角ここまで来たのだから、何か爪痕を残そうと思い、ちょうど両手を挙げた人の様な枝が落ちていたのでオブジェを作って写真を撮ったりして過ごしていた。

オブジェ「お手上げ、または万歳」
途中には、白谷雲水狭のようにすべてを覆いつくすような苔と霧に包まれた森があり、名所の杉があり、ひっそりと花が咲き、想像以上の美しさであった。このような感覚は出雲大社に行った時にも感じられた。どちらも、この世と別世界の間にいるような、圧倒的な自然の力強さに包まれる様な、自分自身が一つの生き物として大自然の中に包括されているような何とも言い難い満ち足りた感覚であった。屋久島は海の色も川の色も神秘的な美しいグリーンのグラデーションで、こちらも目に入るたびに大変感動した。
初めて訪れた屋久島とその特別な大自然に魅了され、必ずまた来ようと思った。

屋久島の苔。小さな花が咲いたあと?
その年が終わるころには翌年のリベンジ計画を本格的に始動。今回は夫も行ってみたいということで2024年のGWは二人で屋久島を訪れた。滞在2日目は小雨模様となったので、夫の足慣らしも兼ねて、かねてからの憧れの白谷雲水狭に行った。ところが足元が悪かったため夫は滑ることが何度かあり、翌日は晴天に恵まれるも縄文杉はお蔵入りとなり、代わりにガイドさんが島の滝巡りと西武林道へ案内してくださった。そこは人間が立ち入りを許されている世界自然遺産エリアで、屋久鹿や屋久猿が、人を恐れることもなく伸び伸びと生活を営んでいた。
という事で、今回は縄文杉リベンジは叶わず。

屋久鹿
2025年が明けると「今度こそは」、とGWの計画を立てた。前回の反省をもとに睡眠時間を確保するようになってからは眩暈も起きなくなっていた。夫は行く気がないため一人旅に。週1回のパーソナルトレーニングを50歳から継続しており、筋量はその頃からほぼ変わっていない。体重の増減は脂肪量の変化で決まっていた。山ではBMIが高い人をほとんど見かけないので2月から減量を開始し、3カ月で6%の減量を達成。そして、2025年5月3日、3度目の屋久島に到着。「360日雨が降る」といわれるほど雨が多いが、5月4日は運よく晴天に恵まれ、67歳にしてついに念願の縄文杉に余裕で到達できた。初めて見上げた縄文杉は、神秘的でとても偉大であった。土の少ない過酷な条件で何千年もの風雪に耐え、時を経て今も生きているという事実が大きな感動を与える。日本人は山を見ては拝み、大きな木を見ては拝むというが、大自然の素晴らしさと美しさはまことに神々しいという以外に言葉はない。帰りは荒川登山口に戻る少し前に冷たい川で足を冷やした。その水の色の何と美しいこと!
今回でますます屋久島が好きになり、地元ガイドさんに「ヤクチュウになりましたね!」と言われ、私も晴れて屋久島を愛する人の仲間入り。余裕で縄文杉をクリアできたので、次回もなるべく早く来て、どうしても宮之浦岳にチャレンジしたくなった。

縄文杉
次の屋久島行きを2026年GWまでとても待ちきれなくなり、夏季休暇を遅めに取って9月26日に屋久島に行くことにした。これで4度目の屋久島となる。憧れの九州最高峰1936mの宮之浦岳登頂を目標に、9月に入ってから自主トレとして日曜早朝の高尾山トレッキングを2回行い、Chat GPTで情報を集め、行程のシミュレーションを行った。ウィルソン株からの急勾配と同じような個所は数か所あるけれど、日帰りは可能と思えた。減量はさらに継続し、-9%減まで達成できていた。パーソナルトレーナーにも新しいメニューを取り入れてもらうなど、できる限りの準備をして臨んだ。
9月27日、6時15分、淀川登山口を出発、ヘンゼルとグレーテルのお話に出てくるような素敵な淀川小屋に7時15分、ここで小休憩。名もなき大きな岩8時35分、トーフ岩が見える場所を過ぎて花之江河9時25分、少し休憩後10時35分に投げ石平に到着。投げ石平からは見たことのない絶景が広がっていた。自然が作ったとは思えないオブジェのような様々な奇岩が屋久笹の緑の絨毯のあちこちから顔を出しており、驚きに満ち溢れる天上の楽園。忘れられない風景であった。「宮之浦岳はあの山の後ろにある山ですよー、まだまだ行きますよー、あと2時間ですよー」の掛け声で、「ちょっと遠いけど行ける!」、と嬉しかった。しかし、朝4時半の出発以降トイレには1回しか行っておらず、明らかに脱水傾向であると意識してからは水分補給をしっかりしたものの、徐々にペースが落ちてきた。山頂目前で、足を滑らせて蛙のような格好で道に嵌まり込んだりしたが、13時に遂に念願の宮之浦岳山頂に到着。今回も素晴らしい奇跡的な晴天に恵まれ、目の前には屋久島の奥岳が連なり、投げ石平からよりも、さらに遠くまでを見渡すことができた。まさに天空の絶景!欲を出せばきりがないが、雲が山の下に広がっていたため光る海を見渡すことは叶わなかった。山頂までは休憩を入れて6.5時間を要した。

なぜか落ちない岩
このままずっとここに居たい気持ちだったが、そうもいかず13時半に下山開始。黒味別れ付近で辺りが薄暗くなってきた。ガイドさんが「あー、もう日が沈むなー、秋は早いなー」と言っていたが、その深い意味を理解できず、「ほんとですねー、でもきれいな夕焼け色だから撮っておきたいですねー」などと返していた。18時12分、遂に日没となり、そこからは文字通り漆黒の闇となった。しかし、ライトもあるし、とにかくついて歩けば大丈夫、と状況の読めていない私に不安はなかった。実はガイドさんは二人組だったので、足元を照らしてくれて「こんな真っ暗な中でも歩けるんだ。」などと思いながら、とにかく足を踏み外さないで登山口まで戻ることを最優先に歩き続け、遂に淀川登山口の最後の階段を下りた。とたんにガイドさんと3人で無言で抱き合った時、ガイドさんの心労を初めて理解することができた。時刻は21時であった。
後で調べたところ、「日没以降に山にいること自体が遭難です」、と書いてあり、「私は遭難していたのか」と驚くとともに日没のことをしきりに話していた意味がようやく理解できた。縄文杉と同じガイドさんだったので私の様子は把握してくれており、その後のやり取りで「迷ったけど、あんなに宮之浦岳に行きたがっていたし、天気も奇跡的に良かったし、今回行かなかったらずっと後悔するだろうから思い切って行くことにしましたよー。でも、絶景がみられて本当に良かったですねー」と言って下さった。本当に素晴らしいプロのガイドさん達と見事に晴れてくれたお天道様に心から感謝。とても素晴らしい、一生の思い出となった。

宮之浦岳山頂からの絶景、美しい姿の永田岳
今回、縄文杉を目指して十分な睡眠をとり、減量できたことで体が軽く、疲れにくくなった。集中力も高まり、仕事にも良い影響があった(定年と思っていたが、延長となった)。きつくなっていた洋服も楽に入るようになり、降圧薬は不要となり、嬉しいことばかりであった。
近年、肥満が健康管理上の問題となっているが、理想体重まで下げるのが難しくても、5%の体重減少によって血糖、血圧、コレステロールが有意に改善することが医学研究で明らかにされており、身をもって実感することになった。また人の体は20歳でほぼ完成していることから、20歳時体重より10㎏以上増加すると糖尿病、高血圧、高脂血症、脂肪肝などの成人病のリスクとなることも知られている。プロアスリートでもない限り、20歳以降に増加するのは主に脂肪であり、それが10㎏を上回れば様々な疾患のリスクになる。
実は脂肪組織は単なる脂(あぶら)の塊ではなく内分泌組織という一つの器官であり、ホルモンやサイトカインを分泌していることが判ってきた。興味深い点は脂肪の量が多すぎても少なすぎても生存に不利なサイトカインが多く分泌され、動脈硬化や老化が進むことである。逆に脂肪組織量が適切であればアディポネクチンという善玉ホルモンが多く分泌される。アディポネクチンは動脈硬化の予防などを通して老化を抑制する効果があることから長寿ホルモンとも呼ばれている。
2026年のGWには娘と孫を連れて5度目の屋久島を計画中だが、その前に今年の年末には姿の美しい開聞岳に登る予定で今からワクワクしている。

登山口そばの足を冷やした荒川
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