山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地域とコラボ!里山再生⑤針葉樹皆伐跡地の広葉樹林化 ―20年の歩みと現在の到達点― (4/7)
2025.01.11
ある活動日の際、私が現場に着く前に山の上の方で残った木を伐っていました。掛かり木なので安全に済めばいいと思い注目していました。かなり離れていたのですが、私は他の仲間と下で見ていました。するといきなり右手の甲に鋭い痛みを感じました。何が起こったのかわかりませんでした。見ていた左からではなくやや右に寄ったところの伐採木が飛んで落ちて来て、私の頭をかすりながら枝が軍手の上から右手の甲に当たったのでした。痛みからかすり傷などではなくもっと重い怪我と感じられましたが、活動の途中でしたので一人で運転して医者に向かいました。軍手を脱ぐと枝が突き刺さった跡が見えました。看護婦が赤チンで消毒してから、医者が麻酔をして十数針縫いました。右手の甲の傷跡を見るたびにあのときの事故のことが思い出されて、安全作業を心がけています。あの時頭を避けて伐採木が飛び右手に当たったからよかったのですが、もし頭に当たっていたら、もっと大きな怪我につながったと思うのです。どうして右から伐倒木が飛んできたのかわかりません。事故防止の上からは原因を確かめるべきでしたが、はっきりさせませんでした。犯人探しになるのは良くないと思ったからです。大体わかったのは、私が現場に着く前に右の木を伐採して掛かり木になったのを放置して、やや離れた左の木を伐っていたのでした。左に注目していた時に何らかの影響で右の掛かり木が飛んできて私の右手の甲に当たったのでした。胸高直径10cmくらいの小丸太でした。山では上下作業をしないことが原則でしたが、左を伐る間だけとの思いから上下作業になってしまったのです。
森林ボランティアの安全研修会などで講師となり安全を呼び掛けている自分がこのような事故にあうとはなんとも不都合な事実でした。
事故は責任体制がしっかりしていなくて、隘路が生まれた時に起きやすいと言われますが、当時の千年の森をつくる会もそういった意味で弱さがありました。私が現場で最初の挨拶をして方針を示す前の、私がいないときに、伐倒をして掛かり木を作りそのままにしていたのが事故原因です。
千原千年の森では100人を超える植樹祭を2回、川内千年の森でも2回、実施しました。2003年頃日本では長く続く林業の低迷下で木材を伐採することは少なく従って伐採跡地も少なく木を植える山は少なかったのです。ところが千年の森は裸山でしたので自由に木を植えられます。皆、木を植えることには様々な思いがあるようで色々な事情を抱えて参加していました。ある夫婦は金婚式の記念にということで、2人協力して植えていました。ある若い夫婦は子どもの誕生祝にヤマザクラを植え、後にも成長を確かめに訪ねてきていました。
ツバキを地元の西谷小学校の児童、保護者、先生が自然体験学習の時間に植えました。6年生は卒業記念に3月の第一土曜日に山に上がり、主に下刈りでしたがツバキの森の手入れをして、卒業していくのが常でした。卒業とセットになった記念行事でした。広葉樹の森からツバキの森に続き、ツバキの森は脊が低く景色が見渡せていました。私が病気をし、16年間続けた自然体験教室を止めてからツバキの森の手入れは行き届かず、庭で見る刈りこんだツバキの姿とはほど遠く上にのびのびと伸び株も広がり今はうっそうとしています。
千年の森の入り口のスギヒノキ林の上には、会員が楽しめるようにとの思いから果樹の森を作ることにして、スモモ、クリ、カキ、ブルーベリーを植えました。スモモは大きくなって、2年程収穫できましたが、スギヒノキが成長しその日陰になったら全く収穫できなくなりました。クリやカキは今も残っています。ブルーベリーは下刈りの際切られてしまったと思われます。
果樹の実を得るためにはもっと隣の山のスギヒノキや一緒に植えたヤマザクラ等周囲の木を伐採して日光を当ててやるべきでしたが、果樹の収穫にそれほどこだわらずに木の成長に重きを置いていました。果樹の森の上に少し他の所有者の森がありそのまた上が千年の森です。なるいと言われて買ったものの、結構勾配がきつい山で頂上まで続いています。そこにはコナラ、ミズメ、クヌギ、トチノキ、ヤマザクラ等を植えました。
2003年から2010年までの7年間ひたすら植えました。樹種を選ぶにあたって潜在植生を調べそれに則って選定しました。
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