山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地域とコラボ!里山再生⑤針葉樹皆伐跡地の広葉樹林化 ―20年の歩みと現在の到達点― (2/7)
2024.12.28
千葉県での経験と思いを胸に、2000年に愛媛大学に赴任するため愛媛県にやってきました。
不動産雑誌で田舎住宅が掲載されているのを見つけ、5月の連休に千葉県に残っている妻と長女が愛媛に来た機会に、東温市にある標高500メートルの棚田地帯に建つ、1949(昭和24)年築の田舎住宅を訪ねました。
庭でおじさんとおばさんが焼肉をしていて、「一緒に食べな」と誘ってくれたのです。おじさんは愛媛大学農学部同窓会の役員であることがわかりました。数年前愛媛大学の仲間が愛媛県上浮穴高校林業科の改編案作りに取り組んでいるときに、千葉県から私を呼んでくれたことがありました。この人は上浮穴高校の同窓会役員でもあったので、一緒に改編案を話し合い食事もごちそうになったことを思い出しました。
意気投合して、田0.6haがついているこの田舎住宅を購入することにしました。私は千年の森活動がしたかったので山が欲しかったのに、田がついてきたのです。
私は娘が通う予定の小学校まで歩いて距離を確かめたり、集落のおじちゃんとおばちゃんに、ここでの生活を聞いたりして準備をしました。2001年に移り住んだら、イノシシや猿でにぎやかです。おばちゃんは上の家に明かりがついて心強く嬉しいと言って、その後の私たちの生活を助けてくれました。おじちゃんもおばちゃんも田づくりの一から妻に教えて、面倒を見てくれました。
2003年おじちゃんを通して、隣町の6haの樹木の生えていない裸山を紹介され、購入しました。千原千年の森と名付けた森林は自宅から約18km離れた隣町の丹原町にありました。
(注)2004年(平成16年)の市町村合併で現在は西条市。
山は上下の長さはかなりあるのですが、てっぺんの1haを森林ボランティア活動で使うことにしました。道から他人所有の山を通り千年の森中腹に入り、活動場所のてっぺんに登っていくと50分位かかリます。現場に着いても疲れですぐには動けないほどでした。苗を植え、下刈りに励みました。この山はスギ、ヒノキを伐出してすぐの山だったので植林前に林地を整える地拵え作業はそれほど手間がかかりませんでした。仲間が試験場で実験済みの苗をもらってきてくれたのですが、小さかったのですぐに草に覆われてしまいました。
これまで色々な制限がある場所で森林を借り活動を続けてきたので、初めて自由に森づくりを、植えるところからできる山を得た喜びでいっぱいでした。休日にはほとんど山に入っていました。
植えた木に名札を付けたりします。夏下刈り時に草に埋もれた中から自分の植えた木を見つけた喜びは大きいようです。自分が救い出したような成就感を体験します。
2004(平成16)年2月、同じ町内にもっとなるい(平らな)山約7ha、6月には約4haを購入しました。少し立木が残っていましたがスギ、ヒノキを伐採した跡の裸の山でした。これを川内千年の森と名付けました。一般に山は地拵え、植林、下刈りの初期保育作業に多くの費用が掛かるので林業が低迷するこの時代に裸山など買う者は極めて少ないでしょう。しかし私は森林ボランティアにとって山づくりを一から学べるので裸山でもよかったのです。一部だけ木が細く、土砂流出防備保安林に指定されていたためか、山にスギヒノキの幼齢木が残っている山がありました。20年を経た今では太く、高く立派に育っています。
購入した当初はえひめ千年の森をつくる会と言っても裸山がほとんどで、ほんの少しだけ細いスギ、ヒノキ林があるなんて迫力ないと思っていました。
川内千年の森は家から12kmと近く同じ川内町にあり((注)2004年9月21日重信町と河内町が合併して現東温市)、なんといっても平たんな山で活動しやすかったので、活動の場はこちらに移りました。山には残っていた木も少しあったのですが、傾いており成長が望めなかったので伐倒しながら地拵えをしました。
鶴見 武道(つるみ たけみち)
えひめ千年の森をつくる会会長 元愛媛大学教授 博士(経済学)
愛媛大学在任中、えひめ森林ボランティア連絡協議会長、四国山の日実行委員会会長、四国の森づくりネットワーク会長を務める。
RELATED
関連記事など