山の日レポート
自然がライフワーク
「TOKYOにも山がある!」第2回 上野大仏山
2023.10.01
上野の山上には古墳など考古遺物があり、彰義隊がこもった寛永寺、五重塔など歴史遺物がある。さらに動物園、西洋美術館、科学博物館、国立博物館、東京芸術大学など現代日本の文化の集積場になっている。
とても一日では巡ることはできない。
何回来ても様々な発見がある楽しい散歩コースである。
下の写真に写ってはいないが西郷さんの銅像はこの百貨店の上にあった。昔は「じゅらく」と呼ぶ「デバート」だった気がする。
今は新しいおしゃれなビルに建て替えられたが、もとは王子駅から続く崖線(がいせん)を掘り込んだもので横穴式住居だった。
デバートの壁面は人工的崖面と言うことになる。
赤羽から京浜東北線に乗って上野方面に行くと右手には飛鳥山で見た崖が延々と続いている。
西日暮里の道灌山は飛鳥山と同じような地形の場所にある。
同じ地形はさらに続いて上野駅に至る。上野駅の正面玄関は下町低地にあり公園口は台地の上にある。駅自体が海食崖の斜面に接しているのだ。
西郷さんの銅像は海食崖を掘り削った新しいビルの屋上にある。ビルは4建てでエレベーターを出ると犬を連れた西郷さんにあえる。西郷隆盛は徳川幕府を滅ぼした功績は大きいが明治政府に反乱を起こした逆賊である。しかし政府の中にも民衆にも大変な人気があった人物なので、すぐに復権し明治30年に高村光雲によって西郷像が作られた。そばによるとデカイ、なんと身長は370㎝だという。
エレベーターでは登山した気分にならないが、その先の清水の観音堂の舞台に行くと眼下に不忍池が見え、かなりの山の上の気分になる。
京都清水寺の舞台を模した観音堂の舞台から不忍池を見下ろす景色は江戸百景の時と同じだ。くるりと回った松の枝も今では再現されている。
もともと上野の山は徳川幕府が京都の比叡山延暦寺を模して東叡山寛永寺と称し、不忍池を琵琶湖に模したという。規模はだいぶ違うが確かに似た雰囲気である。
この東叡山寛永寺の境内は幕末の戊辰戦争で彰義隊が立てこもった場所である。その後明治政府が広い寛永寺境内を接収して上野公園として整備したのである。
上野の山の上には摺鉢山などいくつかの古墳が存在している。その中で精養軒の前にある古墳は大仏山と呼ばれている。6mほどの石段を上がったところにはパゴダがあるのだが肝心の大仏はない。案内板をみると、1631年越後村上氏が京都方広寺の大仏に見立てて漆喰大仏を作り、その後銅製に改められた。昔の写真で見ると鎌倉大仏よりは小さいがなかなか立派だった。
しかし地震や火災に見舞われ明治政府の廃仏毀釈で大仏殿が解体されてしまい露座の大仏になったという。その時の写真が残されているがなかなか立派である。しかし1923年の関東大震災で顔が剥がれ落ち、さらに戦時中の政府の金属回収令で大仏の銅製の胴体は供出させられて溶かされてしまったという。
結局剥がれ落ちたお顔だけが現在まで生き残り、パゴダの下の小さな祠に置かれている。これまで散々な目にあったがもうこれ以上はひどい目に合わないようにと祈られているという。
顔だけ大仏は「もうこれ以上落ちない大仏」と言われ受験生に人気があるという。
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