山の日レポート
良くわかる今どきの山の科学
【連載:山の科学3】北アルプスの氷河
2021.10.15
南極やグリーンランドをはじめ、ヒマラヤ山脈やアンデス山脈などに多くの氷河が分布しています。それらの氷河を直接経験なさった方は、日本にも氷河があると言われてもピンとこないかも知れません。夏には多くの登山者の行列ができる白馬大雪渓や針ノ木雪渓にしても、日本では三大雪渓と言われていますが、外国の氷河に比べるとそこまで大きくはないからです。しかし、日本にも氷河が現存するのです。氷河は、「重力によって長期間にわたり連続して流動する雪氷体」と定義されています。つまり、大きさは関係ないのです。ちなみに雪渓は「雪のたに」で、夏頃まで谷に雪が残っていればよく、次の冬まで残り継続していると万年雪と呼ばれています。日本にも多くの雪渓がありますから、その中には氷河が存在するのではないかと、以前から議論されていたのですが、「雪氷体」は確認できたとしても「流動する」ことを計測することが難しかったのです。ところが、自動車のナビゲーションシステムや皆さんのスマートフォンにも入っているGPS機器が、とても高精度かつ小型になったことにより、山岳での位置の精密な測定が可能になったのです。一定の期間を空けて、雪氷体上の定点の精密な位置情報を測定し、期間の前後でその位置がずれていれば雪氷体は移動していることになります。日本に氷河が新たに出来たわけではなく、技術の進歩により小さな流動も計測することが可能となったために、これまで雪渓と呼ばれていたのが氷河と認定されるようになったのです。
立山カルデラ砂防博物館の福井さん達の調査によって、立山・剱山域の小窓雪渓、三ノ窓雪渓、御前沢雪渓は「氷河」であることが2012年5月に認定されました。その後2018年1月には、福井さん達によって、鹿島槍ヶ岳北峰の北東の谷にあるカクネ里雪渓と立山・剣山域の池ノ谷雪渓、内蔵助雪渓も「氷河」であると認定されました。さらに、新潟大学の有江さん達の調査により、2019年11月には唐松岳の北東の唐松沢雪渓も「氷河」であることが認定されました。これまでに、日本では7つの氷河が認定されています。調査が進めば、さらに増えることが期待されます。
大町市立山岳博物館には、カクネ里氷河の写真が収蔵されていますので、それを図1として示します。大町市内に位置するカクネ里氷河を主役として撮影したのですが、立山・剱山域が背後に映り込んでおり、池ノ谷氷河を除く4つの氷河を望むことができます。池ノ谷氷河は主稜線の西側ですが、唐松沢氷河も含む6つの氷河は、主稜線の東側に位置することに気づかれたのではないでしょうか。何故なのかを考えてみましょう。
まず、「長期間にわたり存在する雪氷体」が維持されるには、暖候期の消耗量(融ける量)よりも寒候期の涵養量(降雪量)が上回らなければなりません。多くの雪渓は、消耗量の方が涵養量よりも大きかったり、雪渓の底を水が流れることにより、氷になる前に流されたりするので「氷河」ではないのです。北アルプス(飛騨山脈)は、世界の氷河分布域に比べて標高も低く、低緯度に位置していますし、夏には亜熱帯のような気候を呈する日本に「氷河」が存在するためには、相当な量の雪がもたらされる必要があります。
北アルプスに雪が降る時の多くは、西高東低の気圧配置(日本の西側に高気圧、東側に低気圧)で北西からの風によって雪雲が運ばれます。つまり、北アルプスでは西側が風上になり東側が風下になります。富山県や岐阜県側に雪雲がある時でも、松本平では晴天のことが多いのもそのためです。北アルプスの西側斜面に大量の雪が降るのですが、北西からの風も強いために、それらの雪は吹き飛ばされて、東側斜面に吹溜まることになるのです(図2)。カクネ里氷河をはじめとして、北アルプスに分布する氷河や雪渓のほとんどが、主稜線の東側斜面に分布するのはこのためです。西側斜面には雪があまり堆積しないので、凍結融解作用により、図2のように一般的になだらかな斜面となります。東側斜面に吹溜まった雪は、雪崩れて谷底に堆積していきます。吹溜り涵養と雪崩涵養により、多くの氷河や雪渓は維持されていると考えられます。
このように、北アルプスの氷河では、涵養量がとても多いのですが、ほとんどの氷河が主稜線の東側に位置しているために、消耗量も比較的少なくなっています。雪氷を融解させるエネルギーのほとんどは、太陽からの日射に起因します。地面からの熱量も無視できませんが、太陽高度が低い寒候期には融けずに、太陽高度が高くなる暖候期になって融け出すことからも、日射の効果がわかると思います。日射エネルギーそのものの他に、日射によって暖められたプラスの気温と風によってもたらされる顕熱と水の相変化に伴う潜熱が、主な雪氷を融解させるエネルギーなのです。東側斜面には午前中に日射があたりますが、気温が上昇途中のため顕熱による融解熱量が大きくありません。ところが、西側斜面には気温が上昇した午後に日射があたり、谷を吹き上がる風も吹くので、顕熱による融解熱量が大きくなるのです。北東向きの斜面の場合は、日射も遮られる時間が長いので、さらに融解熱量が小さくなります。北アルプスに氷河が現存している谷は、雪の涵養量がとても多く、消耗量が少ないという条件に恵まれているのです。
しかし、北アルプスの氷河は、涵養量と消耗量の微妙なバランスの上に成立していると言えますから、気候変動によって、今後どのようになっていくのか見守る必要があります。
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