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山の日レポート

山の日レポート

良くわかる今どきの山の科学

山とシカ(下)

2022.12.01

全国山の日協議会

元麻布大学獣医学部教授 高槻成紀

~山に親しむ機会を得て 山の恩恵に感謝する日~
8月11日 山の日
12月11日 国際山の日
「みんなで山を考えよう」
8月1日に「山とシカ(上)」を投稿してくださった元麻布大学獣医学部教授の高槻成紀さん。
新たにその続きの「山とシカ(下)」が届きましたので掲載します。

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(上)で登山する人もシカをはじめとする動植物を観察することで山登りが一層楽しくなるということを書いた。そのことをもう少し考えてみたい。

シカの群れ

増えすぎて問題とされているシカについて考える

 今は増えすぎて問題とされているシカだが、半世紀前には多くの県で保護動物であった。それは戦後だけでなく、明治以降、密猟を含む強い狩猟圧によって野生動物が激減した時代があったからである。
 日本人は自然を大切にする国民だとされる。海外からそうみられているのか、自分達で勝手にそう思い込んでいるのかわからないが、そういうことになっている。私はこのことに懐疑的だが、俳句などにみられるように季節の移り変わりを自然から読み取ることに敏感であるといえそうな気はする。それは農業という営みが日々、自然と向き合う生活だからであろう。
 そのように自然の移ろいに敏感ではあったが、野生動物に対しては容赦がなかったようだ。というのは国民の大半が農民であり、稲作を、それが能わない場所では畑作をして暮らしていた時代が長い。その間、農民は銃を持つことを禁じられ、イノシシやシカによる被害に苦しめられてきた。被害を防ぐために長い土塁を作るなど涙ぐましい努力をしてきた。
 それが明治時代になって銃が持てるようになったから、いわば積年の恨みを果たすが如く野生動物を殺した。現金収入は乏しく、肉を買って食べるという習慣もなかったから、ウサギを代表とする野生動物を殺して食べることは普通に行われた。またこれという娯楽はなかったから、農閑期の若者にとって狩猟は大きな楽しみでもあった。その結果、繁殖力が限定的なクマ、サル、カモシカなどは里山にはいなくなった。実際、カモシカは絶滅の危機に瀕して天然記念物に指定されてかろうじて生き残ったほどである。
 そのことを思えば、現在のシカの多さは今昔の感がある。日本の平地や丘陵地からシカが消えた時代が長い。
 現在のシカの増加は狩猟人口の減少も大きな要因であるが、それを含む農山村の人口減少に最大の理由がある。それは戦後の日本政治が工業化に力を入れ、農業を含む一次産業を軽視した結果と言えるだろう。
 そのように見れば、江戸時代に農民が苦しむほどいたシカやイノシシは明治維新ののちに激減して地域によっては絶滅し、戦後の農業軽視の中で復活したと見ることができる。江戸時代より前のことはわからないが、基本的には江戸時代の農民以上にシカに悩まされたことは疑う余地がない。
 つまり日本のシカは人間社会のありように弄ばれるかのように増減を繰り返してきたといえる。では今後はどうなり、それをどう考えればよいのだろうか。

シカのハーレム

日本列島の自然の豊かさを考える

 残念ながら日本の未来に明るい展望はない。よほど楽天的な人でも、客観的な判断ができる人であれば今後日本が衰退するのは確実と予測するしかない。それが読者を含む現在の大人のせいであることもまた否定できない。戦後の政治により人口は都市に集中した。読者のほとんども大小を問わなければ都市住民であろう。都市住民であるということは要するに消費者だということである。人口が都市に集中して、エネルギーと物資を集中させては廃棄物を処理する。それがどれだけ不確実なものであるか。崩壊と言わないまでも不順に陥ることは避けられないだろう。その日がもう少し先であろうと思っていたが、予想外に近いらしいことがわかってきた。

 話を野生動物に戻そう。日本列島の自然の豊かさを考えれば、人口が都市に集中して山村から人がいなくなれば、植物が生い茂り野生動物が増えることは確実である。その前に起きることは地方での交通事故である。交通事故はすでに多くなっているが、増加率はさらに高まっている。最近も北海道でシカが自動車に当たり、その影響で自動車同士が衝突して死亡事故となった。場所によってはシカの列車事故が頻発している。
 その次に都市への野生動物の出没である。今でも時々都市にサルやシカが現れて話題になることがあり、東北地方や北海道ではクマやカモシカなどもみられる。今後はその頻度が高くなるであろう。

山登りの意味を考える

 日本人とシカの歴史を考えたが、長い目で見れば、シカが追いやられていた時代の方が短かったといえる。その意味では今後、野生動物が増えるのは元に戻ったと見ることもできる。
 私は、それも戦後の日本の社会が選んだ農業軽視の結果であり、我々の責任として受け止めなければならないという気持ちもある。そうはいっても交通事故や都市への野生動物の出没を放置するわけにはいくまい。その対策は本気で取り組む必要があるのだが、行政は他人(ひと)ごとのようである。
 日本人が都市の消費者になったことは山登りの意味とも関係するであろう。山登りは都市生活からの逃避という意味なのかも知れない。これを機に山登りの意味を考えてみるのも多少の意味はあるだろう。

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