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山の日レポート

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通信員レポート

ミスター富士山手記【運命の生涯登山】 9富士山から世界の山へ ①

2026.10.13

全国山の日協議会

世界の山1 アフリカ大陸最高峰「キリマンジャロ」5895m

文・写真提供 實川欣伸さん

大学時代(1965年)、鶴見駅のホームで見たアフリカの大草原に聳え立つキリマンギャロ(5895m)のポスターを見て、“いつかあの山に登りたい”と思った。
子育てを終えた2000年、山岳雑誌に掲載された“キリマンジャロ公募隊”の記事を見つける。費用は50万前後で「これなら行ける」と参加を決めた。当時の富士山登頂回数は130回位で、ツアーガイドには「日本の山なんて何回登っても糞の役にも立たない」と馬鹿にされたが、4000m位までは大草原を歩いている様で、最後の山小屋からは富士山の五合目からの登山と変わらなく、雪も無くて難なく登頂(5895m)できた。
10年後の2010年、運良く2度目のキリマンジャロ登頂の機会に恵まれた。前回と異なり、毎晩雪が降っては日中に解けるの連続で、山頂は雪に覆われていた。今回は登頂は勿論、外輪山の縁を歩くお鉢巡りが目標だった。しかし、まさかのガイドの体力不足でお鉢巡りどころか、頂上直下のクレーターキャンプ地(5790m)までしか行けないと言う。呆れた私は、ガイドの荷物を持ってやり、何とか二度目の登頂を果たした。お鉢巡りは残念だったが、長年憧れたキリマンジャロは忘れられない思い出ばかりだ。地平線近くに見える南十字星(4つの星が縦横に輝く)、マウエンジ峰(5149m・キリマンジャロ3つの峰の一つ)の山容、そして原住民・マサイ族との交流等、全てが貴重な体験だ。

二回目のキリマンジャロ山頂。バテてしまったガイドと。

マサイ族との記念撮影

世界の山2 ヨーロッパ大陸最高峰「エルブルース」5642m

2001年7月 ヨーロッパ大陸最高峰のエルブルースへ。登山口から見るエルブルースは、双耳峰で均整がとれていて見飽きない景観。3800mのガラバシ小屋から深夜、雪上車で4690mのパスツーコフ岩まで上がり、登山が始まる。北極に近い山で寒さは厳しく、先頭の登山者が思うように歩けずにいて、後方の登山者が寒さで不調をきたしているのに、ガイドが対策を取れずにいた為、見兼ねた私が先頭に立ち隊を引っ張ると、全員が付いてきてスピードが上がり無事に登頂(5642m)。下山はザックに跨りシリセードで下りた。登頂祝いでウォッカを一気飲みした。モスクワの夜は22時でも太陽が出ていてビックリ。夏は白夜で夜も明るいのだ。当時のロシアはとても貧しく、道路を走る車は30~40年前の車が多く、高齢者の物乞いも多かったのが印象深かった。

エルブルース登山道

世界の山3 オーストラリア最高峰「コジオスコ」2230m

2002年1月 オーストラリア最高峰へ。登山口からハイキング程度の傾斜続きで、平坦に近い登山道を歩き、コジオスコ(2230m)に登頂。そして下山後、エアーズロック(現・ウルル)に行き、2日後、運良く登頂(867m)できた。この山は、地平線に聳え立つ世界2番目の一枚岩で、方向板の他に小さな慰霊プレートが有り、強風の時は登山禁止になる。山頂は平らで周囲は準砂漠的な360°見渡せる景観。天気が良く、大の字で寝そべったのがとても快適だった。今はウルルと呼ばれ、永久に登れない山となったので、貴重な体験となった。

コジオスコ山頂

コジオスコ下山後に登頂したエアーズロック山頂

世界の山4 南米大陸最高峰「アコンカグア」6960m

2004年1月南米大陸最高峰アコンカグア。まずは高所順応で14日、チリ、アンデス山脈にあるエル・プロム峰(5430m)に登頂。難無く登頂したのだが、実は1ヵ月程前に、突発性難聴を発症し耳鼻科医に相談の上、「死ぬことは無いだろう」と言われて渡航しており万全ではない状態だった。恐らくその影響で、このエル・プロム峰の標高4000m辺りで平衡感覚が無くなり、身体が4~5回激しくふらついた。一瞬動揺したが、この時の一度だけだった。20日にアコンカグア登山口に移動~アタック開始。食事は、牛肉のBQ食べ放題が数日続き、4000m位まではビール、ワインが飲み放題でとても楽しかった。5000mの最終キャンプで一度高所順応で戻る計画だったが、順応は省いてもらい、23日、アコンカグア登頂(6960m)。雪はほとんど無かったが、早朝は極寒で指が凍傷になってしまった。ただ症状は軽く、帰国後に左手2本の第一関節から先が黒くなり、蛇の抜け殻のようにスッポリ取れて治癒した。

アコンカグア山頂

世界の山5 北米最高峰「マッキンリー(デナリ)」6190m

2005年6月 北米最高峰マッキンリー(デナリ)に20年以上登り続けている、“大蔵隊”の一員として同行させていただいた。ベースキャンプまではセスナ機で飛び、カヒルトナ氷河のベースキャンプへ移動。最初の晩は、雪崩の音で生きた心地がしなかった。C2からC3へ向かう途中、1人がリタイア。C3からC2へ私ともう一人がスキーで降りて荷物を上げた。天気にも恵まれ順調な登山だった。C3からC4、最終キャンプに行く時、行動食は摂りたくなかったので置いて登った(元々登山はダイエットの為に始めた為)。するとC4で悪天候により3日間の停滞を余儀なくされ、私は行動食を置いてきたので、お茶だけで過ごす羽目に。しかし4日目に無事に登頂!(6190m)。当時61歳、一番タフだった頃だ。下山時には、クレバスを飛び越え損ねて滑落してしまったが、自分でも信じられない程の勢いで這い上がった。すると隊長に「オイ!、今、落ちただろう?!」と言われたが、無事に戻った後だった(笑)。6月末のマッキンリーの下山はクレバスだらけで手こずったが、真夜中、無事ベースキャンプに帰還。登頂祝いのビールと焼きそばが美味しくて、暴飲暴食をしたが、翌日、全員快調で帰途に就いた。

「9.富士山から世界の山へ②」に続く。(近日公開予定)

マッキンリー登山中

マッキンリー山頂

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