山の日レポート
通信員レポート「これでいいのか登山道」
【連載23】これでいいのか登山道
2024.06.28
連載23回目の今回は、登山道法研究会副代表の森孝順さんに、ゴミの持ち帰り運動の成果について記して頂きました。山にゴミ箱がないのは今では当たり前ですが、昔の写真などには、ゴミがあふれる山頂のゴミ箱なども見られます。山が綺麗になったのは、どうした動きによる成果だったのでしょうか。
文・写真 森 孝順(登山道法研究会副代表)
持ち帰るのは勝ち点だけではない! 2022年12月、サッカーのワールドカップ・カタール大会では、日本代表の活躍だけではなく、試合後に勝っても負けても自らの手でスタンドのゴミを拾い集め、持ち帰る日本のサポーターの姿が話題になった。
現在、山岳地から開始されたゴミの持ち帰り運動は、山を降りて都会の公園、河川や海岸、サッカー競技場に至るまで、全国の観光地、行楽地に拡大した。特に、登山者の美化清掃に関するマナーの向上は、特筆すべきものがある。
ゴミの持ち帰り運動は、開始当初から様々の課題を抱え、定着するまで数十年を経ている。当時、搬出処理できない山岳地域のゴミは、焼却した後に穴を掘って埋設するか、人目のつかない沢などの窪地に投棄されるのが普通であった。
登山者の集まる山小屋には、ゴミ焼却炉、空き缶プレス機とともに、丈夫な鉄筋製のゴミ籠が置かれていた。
このような状況のもと、尾瀬ヶ原ではゴミの散乱を誘発するゴミ籠の撤去を始めたが、登山道入口のバス停に設置されたゴミ籠が溢れる状況になり、バス会社から苦情が寄せられた。
次に鉄道の駅のゴミ箱が一杯になり、ゴミは自宅まで持ち帰ることが提唱されるようになった。
山岳地の利用者が急増する昭和30年代(1955-1964)中頃から、各地の国立公園でゴミの問題が顕著になってきた。昭和37年に、富士山では官民が協力して「富士山をきれいにする会」が、翌年の昭和38年には上高地において、「上高地を美しくする会」が発足している。
昭和40年代(1965-1974)になると、全国的に観光地の散乱ゴミが深刻になってきた。このような背景から、国立公園においては環境庁の清掃補助金を得て、官民による美化清掃団体が全国各地に設立された。
昭和46年に志賀高原、その後、尾瀬、白山、大雪山などに設立され、そして昭和53年には、富士山でゴミの持ち帰り運動が開始された。その後「国立公園クリーンデー」設けられ、「自然公園クリーンデー」と名称を変えて、現在に至る美化清掃活動が、全国規模で展開されることになった。
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