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『東京超低山』第8回 富士塚(1)
2024.06.19
富士登山のシーズンがやってきた。2023年の登山者数は22万1千人余り。インバウンドも増えているだけに今年はさらにぎわいそうだ。古今東西、みんなが好きな富士山。庶民に富士登山が広まったのは、江戸時代に爆発的に流行った富士山信仰による「富士講」にはじまったもの。庶民にとってそれまでの遥拝から登拝へと変化していった。
江戸を発ち富士登拝の所要日数は往復約10日間ほど、難行苦行で費用も体力も相当だったはず。そこで富士講という参拝登山をするための団体を組織し、選ばれた代表者が交代で霊峰富士に向かった。
一方、憧れはするもの、行けない人のために造られたのが、富士山を模した富士塚だ。老若男女、誰でも本物の富士山に登拝したのと同じご利益が得られるということから江戸市中に競うようにミニチュアの人工富士が築造された。そんなこともあり、江戸後期には「江戸八百八講・講中八万人」と呼ばれるほど富士信仰は一大ブームになった。富士塚の高さは10メートル前後がスタンダード。その数、都内だけでも50以上が現存している。その中から趣のあるミニ富士を紹介しよう。
駅前富士をひとつ。京急線に乗って新馬場駅にさしかかると車窓から絶壁らしきものが現れる。よく見ると人がはりついているように見える。そう、岩壁の正体は品川富士。富士山に見立てて築かれたミニ富士は、まるで穂高岳を思わせる迫力の岩壁になっていた。
新馬場駅を出て第一京浜国道を渡ると、かつて芳葉岡といわれた高台がそそり立っている。そこには凛々しい狛犬と石造りの双龍鳥居が建ち、高みを目指して石段がつけられている。北品川の鎮守、品川神社だ。
品川富士はその高台の上部に岩塊を乗っけたように鎮座していた。地上からの高さは15メートル、岩場の富士塚の部分は7メートルほどになる。あの車窓から見た岩壁だ。品川富士は明治2年、品川丸嘉講社の講中約300人によって築造され、大正11年に第一京浜建設のとき、西へ数十メートル移動した。現在も富士講の人々によって守り継がれ、7月1日の山開きも行われている。
登山口は53段ある石段の中腹左手に、ご親切に登山道と丸石に記してある。その入り口にはさっそく1合目とある。合目石の間隔は4、5歩ほど、5合目のお中道まであっという間だ。
さてここから上部がクライマックスになる。溶岩の黒ボク石を重ねた急峻な岩場の登山道にはクサリが付けられ、高所の苦手な人は下を見ないほうがいいかもしれない。山頂は富士塚に付き物の浅間神社奥宮の祠が見当たらず、じつにさっぱりしている。そんな品川富士の自慢は展望のよさだ。高度感は都内の富士塚で一番といっていい。目の前を赤い電車の京急が走り抜けていく、その先にはレインボーブリッジが望めた。
下山は山頂裏手の登山道から下ろう。5合目に下りた西側に浅間神社の社殿が祀られている。帰りしなに山上の品川神社を参拝。清々しい気分で石段をゆっくり下った。
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