山の日レポート
通信員レポート
お富士さんの山開き その2『十条富士』
2023.07.11
都内に富士塚は60数か所ある。個人宅にあるのも入れればまだ相当あるはずだが、富士山博士の田代博さんが亡くなったので確認することもできなくなった。毎年7月1日が本家の富士山の山開きだが都内のお富士さんも登山が解禁される。昨日重要文化財の下谷坂本富士に行ってきたが今日はこれまで気になっていた十条富士に行くことにした。
この十条富士は北区の岩槻街道沿いにある4mほどの高さの富士塚だ。富士講の碑がたくさんありいかにも富士塚という感じがしていた。縁日の賑わいは都内富士塚で一番だと私は思っていた。しかし岩槻街道の拡張に伴い十条富士はいったん撤去され新しく作り直されることになった。コロナ禍で縁日も中止されしばらく行くことがなかったのでどうなっているか見たかったのだ。
十条駅から十条銀座を通り埼京線の踏切を渡って十条富士に向かった。まだ雨は降っていたが浴衣姿の子どもたちはワイワイとはしゃいでいる。いま都内の富士塚で盛大な縁日があるのはごく限られている。昨日登った重要文化財の下谷坂本富士でもお参りの人で賑わっていたが、縁日の屋台などはなかった。子どもたちにとって縁日の賑わいは忘れがたいものになるはずだ。雨の中、大勢の子どもたちが何の規制もなく大ぴらにウロウロと動き回っている姿を見るのはうれしい。
ところで肝心の富士塚だが、これまでの敷地は半分以下になりごく狭いところに押し込まれコンクリート山になっていた。鬱蒼とした森の中にあった社殿には木々の代わりにのぼり旗が所狭しとはためいている。しかしこれでは崇高な神域の感じはない。もちろんこれから植樹するのだろうがいまは骸骨のようでかなり寂しい。
もともと富士講の碑は数多く建てられていた。それらは上手にコンクリート富士塚の上に配置されているが、まだまだ溶岩の貼り付けが少ない。今は富士山から溶岩を持ってくることはできないが、もう少し工夫して富士塚らしさを出してほしい。
縁日で子どもたちが元気にしていたが、ここの富士講も健在である。江戸の時代八百八講あったというが今も富士塚を守っている講はごく少数である。十条富士は提灯の書かれた通り「伊藤元講」が文化を継承している。
写真は数年前に訪れたときに縁起物の「麦わら蛇」を頒布されていた講の方々である。皆さんお元気なのだろうか。数量限定で私の行った時には売り切れだった。
コンクリートの石段を上り頂上でお賽銭を入れて裏手の狭い階段を下りる。今はあまり情緒もないが来年はもう少しは富士塚らしくなっているだろうと期待して辞した。
講の皆さんのように、来年もお富士山への登山ができるように足腰鍛えなければいけないなぁ。
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