山の日レポート
通信員レポート
「白山信仰」
2025.07.24
古くから「越の白山(しらやま)」として、和歌などにうたわれた白山(標高2,702m)は、富士山や立山とならび「日本三名山」のひとつに数えられる秀麗な山で、日本列島のほぼ中央部に位置しています。
白山は、世界有数の豪雪山岳地帯でもあり、これを源流として、日本海と太平洋に流れでる手取川、九頭竜川、長良川などの大きな河川は、日本列島を横断して長い流域を潤し、山麓や平野部の人々の暮らしを支えてきました。白山は、豪雪地帯であるだけでなく、高山植物の宝庫でもあり、雪解けの頃には、高山植物の花々が一斉に咲き誇る光景は壮観です。ブナなどの巨樹、巨木が繁茂し、植生が非常に豊富で、カモシカをはじめ熊、イヌワシなどの多彩な動物や鳥類が生息することから、ユネスコの生物圏保存地域に指定されています。
白山信仰の歴史は、奈良時代に「越の大徳」と呼ばれた越前の僧である泰澄(たいちょう)が、白山神のお告げを受け、養老元(717)年に白山に登頂し、修行したことに始まると言われています。その後、白山で修験道が盛んになるにつれ、数多くの修験者が訪れるようになり、白山の山麓一帯が登拝路(禅定道)を中心として、互いに結ばれていきました。越前(福井県)、加賀(石川県)、美濃(岐阜県)の三馬場(宗教拠点)と登拝路の道筋にはそれぞれ寺社や集落が形成され、人、物、情報などが行き交い、山村特有の生活文化が培われました。
平安時代になると、自然崇拝の山から神仏習合へと変化して観音の聖地と仰がれ、「越の白山」とも讃えられ、京都の都びとの憧憬の対象とされました。
越前禅定道と呼ばれる登拝路は、現在の平泉寺白山神社(福井県勝山市)の三之宮を起点に、三頭山(標高777m)、法恩寺山頂(法音寺跡:標高1,337m)、小原峠(福井県と石川県の県境)、三ツ谷(石川県白山市)、市ノ瀬(石川県白山市)などを経て、現在の観光新道に近いルートを通り、室堂から白山頂上に達したようで、その途中には、さまざまな宗教施設が設けられ、行場や宿泊所を兼ねた多くの室など数多くの遺跡が今も残されています。
越前の馬場であった平泉寺白山神社の最盛期は室町時代で、四十八社三十六堂、社領九万石、僧坊六千坊と称され、政治また経済面のみならず、文化や芸能にも見るものがありました。平泉寺の旧境内では、平成元(1989)年から発掘調査が行われ、日本最大の中世宗教都市遺構が発掘され、その一部は、一般公開されています。
岐阜県郡上市の石徹白地区は、薬草などを持ち白山信仰を広めた御師の集落であり、石畳や道標がかつての美濃禅定道の面影を残しています。また石川県白山市の白峰地区は、谷間の河岸段丘上に位置した大集落であり、牛首紬などの機織りなども盛んで、土地利用の高密度化や高層化が進み、防寒を考慮した大壁造りの町並みを形成しています。
戦国時代以降、白山麓では白山神の本地仏である阿弥陀仏への信仰が媒介となって急速に浄土真宗が浸透し、真宗信仰を基盤に加賀では約百年間にわたり地域自治を続けた一向一揆の城跡などが残るなど、今も山麓では真宗道場を中心とする信仰生活が営まれ、濃密な真宗地帯となっています。
白山平泉寺
白山平泉寺
白山平泉寺
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