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山の日レポート

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通信員レポート

日本一周!シーサイドウォーク 本州編(2)佐渡一周

2026.01.26

全国山の日協議会

はじめに

文 鮫川太一さん

 前回は2000年12月24日~2001年1月2日まで三島~東京~日立まで10日間で300kmを歩いたことの投稿でした。

日本一周!シーサイドウォーク 本州編(1)
https://yamanohi.net/report.php?id=4063

 それまで12年間続けていた冬山山行でしたが、50歳を機に、たまたま参加した「伊能ウォーク」がきっかけとなり、一人で歩く旅の、自由気ままで気楽な面白さを知りました。
そして翌年、「佐渡を一周でもしてみようか」と、軽い思いつきで考えたのが始まりです。その時点では日本一周することを考えていませんでした。
従って2001年の手帳には3行ほどのスペースに「佐渡島一周の歩く旅」、その日に歩いた行き先と距離をメモしただけのもので私の部屋には地図も残っていません。

その年から年賀状は‟寒中見舞い“に切り替え、当年は妻が書く番だったので、子供達の一年間の近況報告に続いて
『※主人(太一)は相変わらず今年のお正月に一大イベントに挑戦。12月21日から1月5日まで16日間、佐渡ヶ島一周そして新潟から日立の我が家まで約530㎞。しかもテント生活をしながら歩き通すという、なんとも気の遠くなるような冬の旅をやってのけました。家に到着したとき4kgも痩せて別人と思えるような姿に変わっていました。いつまでも若くはないのだから冒険(?)の旅は、ほどほどにしたいものです。』

なにぶん25年ほど前の旅ですからぼんやりとした記憶を呼び起こして、筆を進めることにします。

佐渡島一周の歩く旅

2001年12月21日から2002年1月5日(実質徒歩日数7日200 km)

【2001/12/21】 茨城県日立→東京都池袋駅東口より高速バス(PM11:30)→新潟駅(12/22AM5:00)→徒歩新潟港(6:00)→両津港(08:30)

①【2001/12/22】 両津港~浦川(幕営) あられ雪(16km)
午前中から丸い小粒のあられが降っていたが、厚底の運動シューズには雪も入らず気温は低かったものの、歩くには快適な天候を迎えた。
昼は定食で済ませ、店員に佐渡一周すると話しかけたらコーヒーをご馳走してくれ、ありがたかった。その日は、小学校で若い教師が一人で日直していたので、学校の空き地に幕営できるかを訪ねたら、管理職と連絡を取り合ったようで断られた。「こんな所に寝るんですか」と驚いていたことも思い出される。仕方なく付近のバス停の小さな屋根のある待合室に一人用テントがぴったり入ったので幕営した。

②【2001/12/23】 浦川~北田野浦(12/28まで幕営) (40km)
③【2001/12/24】 北田野浦~相川 (30km)
④【2001/12/25】 相川~真野~背相‟潮津ノ里“ (35km)
⑤【2001/12/26】 背合(8:30)~沢崎灯台~小木(16:00) (35km)
⑥【2001/12/27】 小木~赤泊~赤玉 (35km)
⑦【2001/12/28】 赤玉~両津港 (26km)

 佐渡を歩いて印象に残っているのは、思っていたよりも、意外と雪が少なく、新潟から会津地方にかけての湿った重い雪ではなく、とても歩きやすかった。また家屋の屋根、外壁が黒色を多く用い、落ち着いた家並の景色がとても美しく見えた。
 もう一つ、付け加えたい思い出は、どこの寺院か覚えていないが、歩いていて建て札の案内に確か「国宝?」の仏像を所蔵してあったので、物見遊山で寺に入り、僧侶と話し込み、良い話を聞けたので、お礼に千円を置いて路に戻って歩いていたら、車を運転してきて、私に供物で果物、菓子など一杯の食糧を頂いたのである。何か“丸儲け”したようで恐縮してしまった。さらに我が家に着いた頃手紙が届いて、同郷の茨城県龍ヶ崎市で、若い頃教員時代に綴った童話が、道徳の教科書に採用された写しまで同封されてた。感動!…‥‥
 佐渡の一周の最終日は、両津港で“漁火”と云う食事処に入り私の郷里で友人の母と仲良かった女将さんに声をかけたら、懐かしがり干し柿まで頂いた。

新潟~会津~郡山~茨城県日立市の自宅までのウォーク

2001/12/29~2002/1/5 8日間 299㎞

⑧【2001/12/29】 両津港→フェリーにて新潟港→安田泊 (35㎞)
⑨【2001/12/30】 安田~津川温泉 (30㎞) 以降1/5まで幕営
早朝発のフェリーに乗り、新潟港に着き歩き始めたら小雪が降り、途中長靴を買い雪道を歩き、その日は私の誕生日なのでビジネスホテルに泊まった。 長靴を買ったことは正解で、湿った雪に深く入り、アップダウン続きの道を進み、昼食は温かいうどんを食べた。夕方に今回の旅では初の温泉で疲れを癒した。
⑩【2001/12/31】津川~引き続き若松街道で国道49号線を進み、鳥居峠と車峠を経て西会津町野沢駅で幕営
⑪ 【2002/1/1】野沢駅~会津坂下~河東~猪苗代湖 遊覧船場(幕営)(45㎞)
会津坂下から会津若松市への国道49号を進まず、県道33号線会津坂下河東線で近道を進み、暗くならない時間に到着したいので残り9kmはランニングして猪苗代遊覧船場(幕営)
⑫ 【2002/1/2】猪苗代~郡山49号線~国道4号線に進み、郡山南IC付近にて幕営(43km)
猪苗代から郡山に向かっていたら雪が多く降ってきて、夕方になり郡山南ICに近づいた頃、歩くのを断念し、国道4号線の地下道にやむなく幕営する。年末年始は郵便局カードの現金引き出し(当時ATMは無かった)はできず、少額の現金しか使えなかった。
テントから外出しようとしたら、若い男性が私の顔を見て、素早く走り去っていった。後で地下道から国道最寄りのコンビニに行き、食料を購入したら若い女性の店員が、ホームレスと思ってか、沢山の食料をくれた。(笑)
⑬ 【2002/1/3】 郡山南IC附近国道4号線~矢吹~県道44号線棚倉矢吹線~棚倉小学校(幕営) (41㎞)
⑭ 【2002/1/4】 棚倉~塙町~矢祭町~茨城県 国道349号線里美のぬく森の湯(幕営)(38㎞)
⑮ 【2002/1/5】 ぬく森の湯~日立市十王県道60号線太平洋方面に向かって、山超えをして、高原~十王ダムを過ぎ日立の自宅に到着。15日間の歩く旅を終え、少し自信がついた。(37㎞)

〈番外編〉 小学3年の息子と鮫川源流行きの旅

1996年8月18日から20日 62㎞
当時小学3年生だった息子の、夏休みの宿題の作文が残っていました。

鮫川の源流を訪ねて 田尻小3年 鮫川大順

二年前まで住んでいた家の脇には鮫川という川が流れていました。僕の名前も鮫川というのもあって、いつかお父さんと鮫川の源流まで歩いてみようと、ずーっと思っていました。
鮫川の川幅は100mもある大きな川で、その川の水はどこから流れ出てくるのかーと、考えるだけで僕はワクワクしてくるのです。今年の夏、いよいよ僕とお父さんで8月18日から20日の3日間の予定で出発しました。
まず、おぎつ駅から植田駅まで電車で行きました。植田駅から僕が住んでいた家を通り、さめ川の川沿いを歩いていきました。ものすごく暑いので、途中でジュースを買って飲みました。夕方の5時10分まで歩いて、その日は21キロ歩きました。釣りの人に鮎をもらって食べました。その日は川の脇にテントを張って寝ました。
2日目5時に起きました。6時に出発、今日は石住小学校まで行く予定です。この日も暑くて暑くて気持ちが悪くなって気分転換に川で魚釣りをしました。お父さんが川虫をとってくれたので、川虫を釣り針につけて、僕は「うぐい」を7匹釣りました。そして石住小学校側にテントを張り、ここで川で採れた魚を味噌焼きにして、内臓は小学校の鶏にあげました。鶏はその内臓を夢中で食べました。僕はその日も疲れてテントの中でぐっすり寝ました。
いよいよ3日目、最後の日です。4時に起きて5時半に出発、予定より少し遅れていたので早足で進みました。昼食はさめ川の河原でお父さんが作ってくれたそうめんを食べました。また歩いて喉が渇いたので、自動販売機でジュースを6本買ってお父さんと3本ずつ飲みました。それでまた元気を取り戻したので、頑張って歩きました。
「今日中に源流までは無理だ」とお父さんが言ったので、ぼくは「初心忘るるべからず計画通りに今日中に行こうよ」と言って、7キロ手前にあった雑貨屋さんにリュックサックを預けて、走っていくことにしました。お父さんと僕で「1・2、1234、1・2、1234」と声を合わせて、時々歌も歌ったりしながら走って行きました。5時半とうとう源流に到着。ヤッター!。
僕は嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。大きな川の鮫川の源流はチェロチョロしか流れていませんでした。これが僕の前住んでいた家の脇の大きな鮫川の源流なのかと思うと、とても不思議な気持ちでした。
3日間で歩いた距離は62キロ。僕は何回か、暑くて、つらくて、嫌になってやめたいと思ったけど、やっぱり頑張って歩いて好かったと思います。
お父さんと二人で歩いている時や、キャンプでご飯をつくってくれた時や、釣りの仕方を教えてくれた時は、お父さんが強くて立派に見えました。僕はお父さんがもっと大好きになりました。
鮫川の源流を訪ねての冒険の旅は、一生忘れられない夏休みの一番の思い出になりました。
終わり


※鮫川姓の由来
鮫川姓は、鮫川流域で度重なる洪水に苦しむ人々を救うため、土地の豪商が治水事業に尽力した功績に由来します。その功績が認められ、元治元年(1864年)に、川の名である「鮫川」を姓として賜りました。

この旅で気づいた事とホッとした事。そして地元の人達に教えられた事。

 それは夏の炎天下で、子供がアスファルトの道を歩くことは、大人よりも重労働。なぜなら背が低いため、道路からの反射する太陽熱をまとめまともに受けてしまうためです。このため息子は「来るんじゃなかった!」と泣き出してしまい、私は“これで旅は終わった”と諦めかけたが、タイミングよく地元で鮫川石の行商をしていて、背中に絵を描いたおじさんがショベルカー(バックホー)に乗せてくれ、息子の大喜びの顔には救われ、お礼するやら大恩人様々で感謝あるのみの出来事でした。
 “泣いたカラスがちょっと笑った”のとおり息子は調子よくなり、NHKの番組「お母さんといっしょ」の歌「しまうまのしまをくるくるとって」をリズムに合わせて繰り返し、しばらく2人で走ったのでありました。
源流にたどり着いたときは夕暮前で、これもタイミングよく地元のお爺さんが鮫川村に50年前に移り住んで、開墾したことを話していただきました。「ここはその頃とほとんど変わってない自然のままだ」というのです。
 この記録を夏休みの自由研究に提出しましたところ、これを見た娘の担任教師が面白がって「好きだね!暇だね!」と云っていたようでした。その“つぶやき”=ツイッターは、我ながら同感と云うしかないようです。

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