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山の日レポート

山の日レポート

山の日インタビュー

降籏義道  信州白馬山麓から世界に羽ばたく (第二回)

2025.07.20

全国山の日協議会

 今回は、降籏義道さんの本格的な登山活動との出会いと、1960年(昭和35年)頃の北アルプスの北部の山岳遭難救助体制等についての話です。



高校での登山活動

―― 「で、高校はどこへ行ったの?」
降籏 「松本市近くの高校に行ったけど、そこにはスキー部が無かった。
   トレーニングは一緒にする、そして高体連にスキー部登録してもらう条件で山岳部に入ったんだけど、
   そこの顧問の先生は信州大の山岳部のОBで、すごく熱心で面倒見のいい人だったんです。
    1年生の夏には穂高岳涸沢合宿に始まり、剣岳縦走と本格的な登山になっていった。2年になると
   有明山ってあるでしょ。あそこは標高は2200mくらいしかないから登山者は少ないけど、すごく良い
   岩壁やルンゼがあって、俺らはそこに新ルートを何本も開いたりしてた」

北アルプス主要山稜

―― 「高校生のころから初登攀?」
降籏 「そう。冬は冬でスキーもしながら結構厳しいルートも登ってたから、まあ実力は俺らのほうがそこらの大学山
  岳部の連中よりだいぶ上だっていう自信はありましたね。
   その頃はお金もないから、新ルートを開拓するときは、それに使うハーケンを松本近くにある岩登りのゲレンデ
  にいって、抜いてきて、それを使ったりね。ザイルは麻でした。
   学校もけっこうさぼって、年に100日くらいは山に行ってた。で、冬はスキーでしょ。出席日数が足りなくて
  落第しそうになったけど、顧問の先生がかばってくれて、なんとか3年で卒業した。」

有明山 (安曇野在住の浅川さん提供)

―― 「で、それから?」
降籏 「高校を卒業したのは1966年かな。山で親しくなった大学の山岳部やスキー部から誘いがあって、そういうのに
  憧れもあって、俺も大学に行って山岳部に入ってなんて考えて大学受けたけど、第一志望のとこは受からなくて。
   で、とりあえず家に戻って、家にはそれなり仕事もあるんだけど、一方で白馬登高会っていう地元の山岳会に入
  ったり、遭難救助隊員になったりしたんです。そこにはすごく実力のある先輩たちがいた」

―― 「当時はまだ山岳ガイド協会なんかはなかったよね。そのころの遭難救助の組織ってどんな具合だったんですか」
降籏 「当時、ここいら、つまり北アルプスの北部だと山案内人組合が南から大町、白馬、小谷(おたり)と3つあっ
  て、そこは警察としては大町署の管轄なわけです。もっとも一番北の小谷の案内人組合がカバーしてた白馬大池か
  ら朝日岳のほうだと新潟県警の管轄になるけど。山で言えば、槍のあたりまでが一応大町警察署の管轄。北アルプ
  ス南部、たとえば穂高とか常念とかのほうは、いまは松本署だけど当時は豊科署の管轄だった」



―― 「なるほど、そういうふうになってたんだ」
降籏 「それで、これは書いといてほしいんだけど、地元の者はここを『ハクバ』って言ってる。 『シロウマ』っていう
  のはよその、都会の人の言い方なのね。
   で、遭難の救助要請が警察に来ると、そこから当該地域の組合長、つまり救助隊長のところに出動要請が入る。
  そこで、隊長が隊員を呼び出して救助隊を編成して送り出すわけだけど、事故によっては複数の組合に要請が来る
  こともある。遭難者なんて、どこにいるかわからないことはしょっちゅうあるからね。
   それに、実力的には白馬の組合が一番あったから、北は新潟県境から槍の穂先まで遭難救助に行った。
  登山シーズンは結構忙しかった。俺なんかはそこで鍛えられたことになる。高校生のころ、多少天狗になってたの
  が、叩き直されたっていうか。とにかく岩場で怪我人を背負って降ろしたり、目もあけられないような吹雪のとき
  に、胸まである雪のなかで人を担ぎ下ろすなんて言うのは、天気の良い時自分達だけで登るのとはわけが違うじゃ
  ない。
   ヘリが遭難救助のために出動するようになるなんて、考えてもいなかった。もっとも今だって、天気が悪ければ
  ヘリは飛べないし、場所によってはヘリが近づけないとこもあるわけだから、救助隊の役割がなくなったわけじゃ
  ない。そのへんは分かってほしいね。」

「しろうま」ではありません「はくば」です

海外遠征への目覚め

―― 「それはそうだよね。そんななかで、長野県岳連の海外遠征計画に加わるようになった」
降籏 「そうです。長野県岳連は1964年かな、ギャチュンカン(標高7922m)の初登頂をしたり、一流の実績があっ
   た。
    俺なんか、そういう意味では駆け出しだけど、海外遠征研究委員会っていうのがあって、そこに入れてもら
   ってね。ヒマラヤへ行きたいって思ってた。ところがたまたまそのころ、ネパールもパキスタンも登山許可を
   出さなくなってたから、ヒマラヤには当面行けそうにない。」

写真は白川義員氏の写真集より

―― 「で、パタゴニアに行くってことになったんだ」
降籏 「そうなんです。俺自身、初めはパタゴニアなんて、どんな山があるのかどころか、そもそもどこにあるのかも知
  らなかったんだけど、話を聞くとすごいとこだってわかってきた」

Wikipediaより

  つづく

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