山の日コラム
通信員コラム
ラダックでゴミを考える③
2024.04.22
私は、地域づくりに関わる仕事に就いているのだが、近年は海洋ゴミ問題、特に陸域から流出するゴミの削減への啓発依頼が急増している。年間を通して、たくさんの方々と共にゴミを拾っている。近年学校教育の場等でも取り組みが進み、子どもたちの関心も高くなっている海洋ゴミ、プラスチックゴミ問題。まずは「拾う」ことで、地域も美しくなり、ゴミが散乱していない街は防犯上もいい。ゴミを探すことで「どこにどんな物が捨てられやすいのか」「人はどんな時にゴミを捨ててしまうのか」といった捨てる人の立場にも立つことが出来、社会問題にも触れることとなり、とても意義のある活動だと感じている。
だが、「拾うこと」だけでは解決にはならないと思っている。その元を考え、先に向かっていかなくては、本当の意味での解決にはならないのだと子ども達にも伝えている。
私たち人間は、無意識のうちに、恐ろしく簡単に自然を壊すことができる。壊すことは容易過ぎるくらいだが、地球温暖化や激甚化する自然災害といった大きな形になって表れていても私たち人間はその速度に追いつくことが出来ずにいる。人間は都合よく地球を自然を使い、ゴミを増やし続け、破壊された環境の自然治癒力に任せるだけの存在なのだろうか。
日本でもヒマラヤでも、地球上どこでも同じこと。私たちが不要とした物が、私たちのいなくなった世界に残り続ける。自分達がいるうちに、考えなくては。未来の子ども達に「なぜこんな地球にしてしまったのですか」と言われないように。
私たち、どうすればいいのだろう。回収処理の技術を進める?焼却炉を増やす?プラスチックの生産量を減らす?それは誰かの仕事を奪うことにはならないか? 仕事がなくなることは、健康や命に係わるかもしれない。過酷な環境で労働や生活をしている人たちは、環境汚染によって健康が脅かされているかもしれない。
ラダックの泣きたいくらいの青空と草を食む動物たちの圧倒的な自然に私が放心しながら写真を撮っている間、現地のガイドとドライバーは、例え回収される当てがなくても、この風景を何とかしたいと落ちているゴミを集めていた。
その光景を見て、心が動かない人はいるだろうか。
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