山の日コラム
通信員コラム
ラダックに思う➁
2024.05.19
2度目の訪問では、まだ道路が通っていない場所を借りたロバとテクテクと歩いて行った。
今や道路工事を見ない日はないくらいのラダック。村の男性たちは殆どが工事現場に出稼ぎに出ていてロバの引手がいなかったが、前日夜、近所のお父さんが名乗り出てくれた。
ロバや馬の細い脚でしか通れないような道を、時には叫びたいほど冷たい水の流れる川を渡り、時には共に来てくれた村のお父さんから分けてもらったツァンパや、スカンポのような草をガムのように噛みながら、ほぼ一日かけてたどり着いた頃にはヘロヘロだった。
ロバは、というとお父さんより少し先をひたすら草を食みながら歩いていく。お父さんは時折横にそれるロバを諫めたり、素晴らしくよく通る声で歌ってくれたりした。
電線もWi-Fiも来ていない村には、若い人の姿はほとんどなく、廃墟となった空き家も多かった。
前夜泊めてくれた村もこの村も、一夜の宿を貸してくれたゲストハウスの家も、日本の田舎同様、子ども達は便利な町に進学や仕事を求めて出て行ったようだった。きっと戻っては来ないのだろう。村では必要な物を買い出すために、また峠を越え、片足分くらいの幅の道沿いを川に沿って歩いて行き、更にそこからヒッチハイクでレーの町に行くという、24時間物が手に入る生活をしている私たちには想像もできない手間と時間をかけて物を調達しているのだ。
作物を育てるのには土地も限られ、降水量も少ないこの場所でラダックの人たちは、昔から土地の恵みを大切にして暮らしてきた。収穫した杏や麦から、動物たちから。ヒマラヤの雪解け水が大地を潤す夏の間、大事に育てた作物は、植物は翌年のための種や祈りのあかりを灯すための貴重な油にもなり、拾い集めた生き物の糞は生きるための燃料となる。
村の夜は、私の目にはただただ暗く、時折何かを洗いに行くお母さんの動く気配だけを感じたり、動物たちの声が聞こえるだけだった。夜中に目が覚めて外に出ると、今思い返しても夢だったのではないかと思うくらい、夜空いっぱい星が瞬いていた。
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