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山の日レポート

山の日レポート

自然がライフワーク

何もないを生かす・・・故郷で『エコ登山』を展開する

2024.03.01

全国山の日協議会

一般社団法人南信州山岳文化伝統の会 大蔵喜福

登山界のレジェンド大蔵喜福さんが7回にわたり語ってくれます

【第1回】プロローグ 
厳冬期デナリに散った岳友の魂に会いに、30年間通ったデナリ(マッキンリー)での高所気象観測(アラスカ大学デナリウエザーリサーチプロジェクト)を2019年夏に終えた。その原因を明らかにという宿命を背負いながらの年月であった。データから解った烈風の物凄さはまさに悪魔の咆哮、記録の整理と分析はこれからも続くが、リサーチは私の年齢でこれ以上継続は・・・どなたか代わりにと泣き言を入れたら、希望をかなえてくれたのが、アラスカ大学の吉川教授等だった。これほど嬉しく思ったことはない。デナリ国立公園局内に気象班ができ、私の思いを継いでくれたからだ。  

デナリの気象観測装置、デナリパス上部5715mに1990年に設置。厳しい気象条件で年間計測できるまで4年かかった。2005年6月

15歳の夏

そして、人生の最後になるだろう生き方を、何に求めようかと考えたとき、遠山郷での若き日の思いが頭に浮かんだ。お花畑にライチョウ、大原生林という森の山塊が蘇ってきた。
遠山郷木沢に単身移住して約4年経った。ここを最初に訪れたのは58年前、15歳の夏だ。地元の高校山岳部での夏合宿、南アルプス塩見岳から荒川、赤石、聖、光岳を越えて、池口岳まで1週間余りの大縦走の時である。最終日、何処をどう下ったのか、暗い森の中を鉈とのこぎりを振り回し、森林鉄道の軌道敷へ、やっとのことで当時の南信濃村木沢梨元に辿り着いた。私にとって知らないことばかりの異国?の郷であった。

15歳の夏、南ア南部縦走中の仁田岳頂上で撮影、右端が筆者。1966年8月

伊那谷は飯田の生まれ

伊那谷は飯田の生まれ、丘の上の市街から見える南アは前衛の伊那山脈に阻まれピークの幾つしか見えない。山の向こうは静岡とばかり思っていて、遠く深い巨大な山脈に囲まれた大渓谷があるなんて思ってもいなかった。そこが遠山郷で、谷筋では森林鉄道が重厚なブレーキ音を刻み、こじんまりした佇まいの集落が山肌のあちこちに点在、人は皆優しい笑顔で迎えてくれた。
「ほら、坊主食えよ」と停車場で貰ったトウモロコシの甘さは忘れられない。今でも域産域消『野菜は売るものじゃない、(人に)あげるもんだに』こんな頑なな人達の想いが心地よいところだ。山肉ジビエを初め土着のスローフーズは、コンニャクや二度イモ、タカキビ、ソバなど野菜穀物から川魚、大和イワナに鬼アマゴ。今風に言えばゼロカーボンもの。

下栗集落最上部より聖岳~上河内岳を望む。2015年12月

南アルプス登山口 森林鉄道発着場の木沢梨元停車場

当時、林鉄発着所梨元停車場が南アの登山口で、軌道敷を歩いて光岳へは易老渡、大沢岳や赤石岳には大沢渡へ、兎岳への兎洞、聖岳には西沢渡へ、そこが本当の登り口だ。最長20キロは当時のコースタイムで7時間半のアプローチである。山小屋はなく営林署の宿舎に厄介になるしかなかった。その後、南アには三度きり、北部の縦走と、池口、光、鶏冠山に登ったのみでご無沙汰となった。高校在学の内に北ア、中ア、八ヶ岳の有名な山々を登りたくて、南アの重厚な山々を頭の隅にしまい込んだ。
戦後の復旧に貢献した林鉄はその後、1968年林野庁が73年に民間企業が撤退を決め、線路を外して狭い村道に替えたが、南ア南部の地盤は脆弱で、川沿いの林鉄軌道跡は安全面で問題があり、常なるメンテナンスは不可、歩くだけの時代が続く。遠山川の右岸の山腹に車道ができ中間の北又渡まで車が入れるようになったのは‘87年からである。
2005年(平17)の大合併で飯田市と合併した遠山郷 (上村と南信濃村)は、林業の衰退後は過疎化へまっしぐらである。私の住まう南信濃木沢地区(旧木沢村)を例に挙げると林業最盛期には千人程を維持していたが、‘80年代より減り始め40年間で約8割減である。“限界集落”とはいやな言葉であるが、限界を超えて終活に見えてしまうのは悲しい現実である。日本国内境遇は同じだからという慰めは捨てて、高齢者に創造的なパワーを持たせるにはどうしたらよいか?この悩みはいまだ続く。

森林鉄道発着場の木沢梨元停車場には、当時の機関車と貨車、客車が修繕しながらの動態保存がされている。南アルプス登山口としては戦後より40年間ほど、ここから頂上を目指した。

“何もない”を十分に生かした『エコ登山』の計画

さて『エコ登山』、深遠なる森の山々を多くの登山愛好家に楽しんでもらいたい、そのために労を惜しまず山への恩返し、奉仕の精神で地域の活性化に貢献出来たらという気持ちがこのプロジェクト?の始まり、老若男女の登山者が楽に登れる環境つくりである。南アルプスの信州側には、山小屋もトイレも何もなかったから、その“何もないをどう生かす”かが大きな魅力に思えた。
南ア南部は、駿信両側とも不便だが静寂を楽しめる熟達者の山、上級者向きという評価が定着、登山人口は北アルプスや中央、八ヶ岳に比べようもなく少ないレベルで留まってきた。何しろアプローチが長く深く、稜線までの高度差は北アに比べさらに高く、体力も脚力も人並み以上のスキルが求められる。そういったレッテルは、いつしか地元には何の魅力のない観光資源となり、登山道は台風などにより荒れ放題となった。整備や補修など行政への願いは、常に数年の後回し。遠山山岳会など心ある愛好家グループの奉仕だけでは焼け石に水である。そのため何から手を付けどうするのか?ありったけの経験の中から、知恵を絞り実践に移すスパイラルに突入する。いずれスピンアウトが見つかると信じて。
静岡側には山小屋施設や機動力での入山と比較的入りやすい条件が整っているが、信州側遠山郷には何もない。ここ数年で最小登山者を記録した2020年(令2)の年間900人弱は悪条件が重なったとはいえ、北アルプスでいえば有名どころの山小屋の1日分という悲惨な状況である。こんなになっても、地元民からは何の反応もないのである。誰も登山で食ってないからだ。地元は、山を相手の林業で食えなくなってからも、登山にはまるで興味は示さない。数十年前より、行政の発信する未来像のすべてに記載され続けてきた『登山高原観光に活路を・・・資源は大自然。登山を生かそう!』のスローガンも掛け声のみである。
地域活性化にどう生かすのか、私には大きな課題である。資金調達は?事務所は?スタッフ?は、クエスチョンだらけのプランである。でもやると決めたからには引けない。探検隊や登山隊のリスクマネジメントを見習えばいい。プロジェクトが大きいだけ意欲も増す。必ず、幾つもの難題が降りかかってくる。答えは自らの経験にあるはずだ。“何もない”を十分に生かした『エコ登山』の計画を、三か年で構築できるようにと練り上げた。
そして2019年秋に登山イベントを絡め、“残すは足跡だけ、排せつ物もすべてのゴミを持って下りる”キャンペーンと“遠山郷は南アルプスの表玄関”をことさらに喧伝し、大げさな立ち上げを行った。
登山者の安全と便宜のため、先ず登山道の整備から始め、自治体や林野庁から適地を借地、山小屋の替りのレンタルテント・キャンプ場(携帯トイレ2か所付)を、光岳への易老尾根中間面平と聖岳西尾根末端西沢渡に設けることを初年度の目標とした。その後に携帯トイレブースを登山道脇に3か所設ける、登山相談所の開設、救助体制まで、できることは何でもする覚悟である・・・。

標高1500mの面平にあるサワラの巨樹。周辺は原生の林立で、最大幹回り5mもある一斉林が見られるのは南アで唯一ここだけ。

大蔵喜福さんプロフィール

著者近影・面平荷上げ 

大蔵喜福 OKURA YOSHITOMI 1951年長野県飯田市生まれ  
登山家/ 著述業 一般社団法人南信州山岳文化伝統の会理事  

‘79年秋、世界初のヒマラヤ交差縦走登山(ダウラギリⅤ~Ⅲ~Ⅱ峰)、厳冬期ヒマラヤのパイオニアとして‘83~84、85~86年冬季チョモランマ北壁に挑み厳冬期最高到達地点記録(8,450m)を打ち立てた。8000m峰はチョモランマ、チョーオュー、マナスル等7回登頂。‵87冬には北朝鮮の厳冬期白頭山鴨緑江ルート初登。1990年より30年間継続したデナリ(マッキンリー)気象観測プロジェクトでは登頂27 回。国内では谷川岳、甲斐駒ケ岳等の岩壁に記録を遺す。またカヌーでは瀬戸内海初横断、黒部川上廊下初下降、朝鮮海峡(対馬~釜山)縦断などを記録する。海外の山岳国立公園の自然保護問題に造詣が深く、エベレストゴミ調査、国内の山のオーバーユースやトイレ問題にも実践的に関わる。また海外登山のインストラクターやツアーリーダー、子供たちの野外教育活動にと幅広く活動。

●アラスカ大学・デナリプロジェクト・リサーチリーダー 1990~2019
「風の研究」デナリ(マッキンリー)プロジェクトで‘00年、秩父宮記念山岳賞を受賞。
●環境省自然公園指導員として’21年に勤続20年表彰
●公益社団法人日本ネパール協会理事(元副会長)、公益社団法人日本山岳会(元常務理事)、
公益社団法人日本山岳ガイド協会会員・認定ガイド、認定NPOピークエイド理事、
NPO山の自然学クラブ理事長
●椎名誠主幹あやしい探検隊 (いやはや隊)メンバー
●著作「彼ら『挑戦者』」東京新聞、「エベレストのぼらせます」小学館など多数
●東京工業大学山岳部・WV部コーチ 
●㈱オーツー代表 国内外の旅行企画、主に辺境地、登山ツアーの企画・実践。映像制作、雑誌編集等のクリエイティブディレクター、講演会講師などが主な業務。

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