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山の日レポート

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通信員レポート

日本の山々に導かれて 第二回

2023.04.11

全国山の日協議会

赤城(あかぎ)の山、あれこれ  文:宗教研究家 小野文珖

宗教研究家、本会会員小野文珖さんに、日本の山々にまつわる伝承を、5回にわたり語ってもらいます。
今回はシリーズ2回目となります。

裾野(すその)は長し赤城山

 全国百名山の一つ、上毛野国(かみつけのくに・上州・群馬県)の中心にそびえ立つ赤城山(やま)は、すそ野の長さは富士山に次いで日本第2位の雄大な姿を、関東平野の先端に顕現している。標高は黒檜(くろび)山の1828メートルのカルデラ火山であるが、研究者によると、50万年前の大噴火で上部3分の2を爆発で飛散したと言われているので、造成期は3000メートルを超えていたと思われる。この国最高峰級の山だった。

赤城の最高峰・黒檜山と大沼(手前) 

 その後も度々噴火をしていて鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、建長三年の項に、「上野(こうづけ)国の赤木岳が焼けた−−−−−兵革の兆あり」との記事がある。名前の由来は、この赤々と焼けて燃えている大山を見て人々がつけたのであろう。三代将軍源実朝の歌に

  かみつけのせたの赤城のから社(やしろ)
  大和にいかで跡をたれけん(『金槐和歌集』)

とうたわれているのをみると、山腹の赤城神社の壮麗さがうかがえ、東国の民衆の赤城山信仰をかいま見ることができる。
 古代の『万葉集』には東歌(一四)として、「久呂保嶺(くろほね)」の山名があり、赤城山の山頂から黒雲が湧いて雷が落ちるところからつけられた山名の由。カルデラ湖を囲むように連立する黒檜山・地蔵岳・駒ヶ岳・鈴ヶ岳等の複式火山の総称が「赤城山」である。

長七郎山頂から地蔵岳を望む

石碑が立ち並ぶ鈴ヶ岳山頂

古代東国の首都

 歴史上実在したと思われる第10代崇神天皇(すじんてんのう・ミマキイリヒコノミコト)は、『日本書紀』によると、日本全国の統一を志し、東国を治めるため、長男の豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)を遣わして、東国の大王とした。崇神天皇は『日本書紀』では、「ハツクニシラススメラミコト」とも呼ばれ、この日本の国を初めて統一した大王の中の大王、最初の天皇とされているのである。その子、豊城入彦命は、関東平野に鎮座している赤城山の麓に宮殿を構え、豊かな国を作ったので、「毛の君(けのきみ・毛とは豊かな実りを現す字)」の始祖と崇められ、赤城神社に祀られて、東国の祭神となったのである。
 赤城山の南面から関東平野にかけて、数万の古墳が造られ(群馬県だけでも大型の前方後円墳や豪華な副葬品が発掘されている史跡を含め1万2000基以上の古墳が確認されている)、大和朝廷のお膝元、近畿地方を凌駕する程の文明開化の時代が浮きぼりになっているが、それにはいくつかの理由がある。まず崇神天皇の直系というヤマト王権との強いつながり。毛の君の大陸との深い交流。その大陸の先進技術により開拓・開発された東国の富。赤城山の麓には、大寺院や殿舎がいらかを並べ、市場には絹織物や羊毛があふれ、外国(とつくに)人が行きかっていたのである。
 近年この古代東国の首都から、ユネスコの世界記憶遺産に登録される慶事が続いている。「上野三碑」と「富岡製糸場と絹遺産群」である。西暦681年に建てられた山上(やまのうえ)碑、711年の多胡(たご)碑、726年の金井沢(かないざわ)碑。朝鮮半島や中国大陸との交流を示す貴重な資料が狭い地域に現存している珍しい例。碑文には、まだ完全に発掘されていない東国最大の寺院、放光寺の名が刻まれていたり、胡人が多くなったので甘良(かんら−韓)郡等から分けて多胡郡を作る、といったような画期的な歴史的事項が記録されている。
 甘楽郡富岡は、朝鮮半島から渡ってきた韓人が開いた町で、彼等は蚕(かいこ)と桑の実と機織(はたおり)器を持って、織物の綾姫を祀ってやってきた。
 上州第一の神さまは赤城の神である。その赤城の神が、大陸から来た新参の女神に、この日本に糸と織物を広めてほしいと頭を下げ、一の宮の位を譲って、自らは二の宮になったという(一四世紀『神道集』)。上州一の宮は、後に富岡製糸と絹遺産群を起こした貫前(ぬきさき)神社であり、赤城神社は二の宮を称している。

旧赤城神社跡に残る鳥居

赤城の山も今宵限りか

 上州無宿の国定忠治が、赤城の山に立て籠って、役人達に抵抗したが、ついに山を下りることになり、子分との別れの場面が芝居の最高潮に達する。しかし、山は雄美で、そんなヤクザの関所破りなど意に介せず、堂々と静まりかえっている。
 赤城山は現在前橋市に所在している。その前橋に生まれた近代詩人、萩原朔太郎は、中央で挫折する度、傷心を抱えて汽車に乗った。

  わが故郷に帰れる日
  汽車は烈風の中を突き行けり
  −−−
  まだ上州の山は見えずや(「帰郷」)

 汽笛が闇に吠え叫び、火焔(ほのほ)は平野を明るくする。赤城山は黙って出迎えるのである。

前橋市から見た赤城全景

小野文珖さんプロフィール:
群馬県出身
僧侶・元立正大学助教授
立正大学大学院博士課程修了
日蓮宗総本山身延山久遠寺で修行
山々を歩き回る
藤岡市天龍寺元住職
著書に『法華経にきく』『昭和法華人列伝』他


写真提供:本会会員、日本山岳会群馬支部長  根井康雄さん

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