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通信員レポート
ミスター富士山手記【運命の生涯登山】 8記念登山 ②
2026.09.04
文・写真提供 實川欣伸さん
富士山登頂1000回目の記念すべき登山は、海抜ゼロから村山古道~富士宮ルートを計画。2010年10月10日午後6時大雨注意報発令の中、田子の浦駅に三浦豪太氏や仲間ら7人が集合し決行された。
禊の小石を海岸で拾って富士塚に積み、安全登山を祈願して土砂降りの富士市内を歩き始めた。時間毎に雨足強くなり、左富士から市街地を抜ける辺りでは20㎝程の獨流で足をすくわれ流されそうになった。次郎長村を通り村山神社に向かう道中は、大雨で地図は判読不能な上、目印等も見えない状態だったが、何とか午前2時ごろ村山神社に着く。雨は衰えず天照教までの樹林帯を抜けるのも、目印が見えず何回も行く手を樹林帯に阻まれ右往左往!夜が明けた頃にようやく雨が止み、天照教脇の林道に出た。ここで小休止し、皆が息を吹き返した。高鉢駐車場までの登山道は歩き易く、そこから樹林帯を抜けると、倒木帯有り、お花畑有り、アサギマダラが乱無していて、アルプスの景色を見ているようだった。ここから5合目までは、また樹林帯に入り多くの倒木で塞がれた中を登り続けなければならないが、5合目からは登り慣れた登山道だ、7人全員で1000回記念登山を完登した!

スタート時

登頂記念打ち上げ
次の大きな記録は、絶対に破られないであろうとされた富士山登頂日本記録=強力だった梶 房吉氏(1900~1967)の1672回を破る、伝説の記録更新登山だった。
2014年、私は世界七大陸最高峰目指し最後のエべレストに挑戦中だったのだが、3月末ネパール~ベースキャンプに着いた直後、エベレスト史上最大の雪崩事故が発生し、シェルパ16人の命が奪われ登山禁止になり、全登山者が帰国となってしまった。10年の功で掴んだチャンスを逃したショックは余りにも大きく、何もする気が起きず塞ぎ込み、富士山に登っても今までの4倍の時間を要し「實川の富士山は終わった」と言われる始末だった。だが、伝説の記録更新まであと50回位で到達することに気づき“何時間掛かっても1日1回登れば良いのだ”と気持ちが切り替わり、1日2登頂を9時間位で登れるように戻ってきた。そうなると、今度は、マスコミから更新日の催促が入るようになり周囲が慌ただしくなった。日程は台風を避け「7月15日、田子の浦スタート」で決定したが、台風接近等で予定が狂い、前日の14日に3連続登頂をしなくてはならなくなった。何とか3連登した14日下山後、仲間に自宅に送ってもらいシャワーだけ浴びて午前0時前に田子の浦へ。いざ出発。すると、真っ暗な海岸が、一斉に10台以上のマスコミのライトに照らされ、眼が眩む状態の中でインタビューを受け、意気揚々とスタートを切った。今回は天気にも恵まれ楽しい登山だった。午前5時ごろ村山神社に着き朝食休憩。ここから神社脇の村山古道に入る。人家も無くなり樹林帯に入り、天照教を抜け林道~樹林帯~女人堂を過ぎてスカイラインに出ると、10人以上の仲間が行動食等を持って来てくれて宴会のようになった。高鉢駐車場~修行の場だった岩屋不動後~廃仏毀釈の破壊仏の有る笹垢離跡~、“これが富士山か”と感嘆する大倒木帯やお花畑の景色を見遣り、最後の長い樹林帯を登ると6合目雲海荘の前に出る。登り慣れた登山道を登り9合目万年雪山荘でカレーうどんを御馳走になり、大勢の仲間の待つ山頂へ。伝説の記録更新だ。1673回の横断幕を広げ記念写真を撮影。山頂には戦場カメラマンの渡部陽一さんがいて祝ってくれた。

田子の浦・マスコミのインタビューを受けてスタート

仲間たちと休憩時の様子

先発隊と同行の仲間との登頂記念撮影
次なる大きな区切りの「2000回記念登山」は、困難極まりない登山だった。まず2018年6月24日名古屋開催の中部地区最大山岳イベント「夏山フェスタ」での2000回記念講演会が決定していた為、前日までに2000回達成が必須。前年までが1961回だったので講演まで2ヶ月弱で39登頂。2日に1回でも達成しない。1日1登頂しかしていない現状、極めて厳しい回数だったが、連日、悪天候でも強行し、やっとの思いで前々日までに1999回到達。記念日までがタイトになるのはいつもの事だが、今回は非常にキツかった。2000回目は6月22日8:00小田原御幸の浜を、サポート隊3人に見送られ仲間と5人でスタート。小田原城脇から林道に入り4時間程歩いて明星が岳へ。この日は夏至。とても暑い日で水を飲んでも一気に汗が噴き出すを繰り返しながら明神岳着。更に火打石岳~矢倉沢峠~金時山山頂へ。先回りしてスイカや団子をを持参してくれたサポート隊と合流し金太郎茶屋オーナー夫婦と共にビールで乾杯し、前半の目標達成を祝った。登山隊は乙女峠へ出発し、乙女峠展望台で先回りのサポート隊の給水を受け、暗くなってからは仲間が車で並走してくれ表富士周遊道路を歩き御殿場登山口へ。ここから2名が参加し7名で23日4:00頃朝焼けの五合目を出発したが、7合目辺りから風が強まり雪が降りだし、赤岩山荘に着く頃には20m以上の強風雨。仕方なくここで仲間4人がリタイヤし、3人で登る事にしたのだが、強風で突き戻されてしまう。無念でならなかったが我々も登頂を諦め、車を停めてある富士宮口目指し、3人でスクラムを組み暴風雨に耐えながら富士宮9合目にトラバースした。すると何ということか、一瞬、僅かだが風が弱まったのを感じたのだ。咄嗟に「これは行ける!」と判断し、一気に登り詰め登頂を果たした。即座に記念の大きな横断幕を広げると、タイミング良く常連が登って来たので3人での記念写真を撮影してもらった。そして感極まる間もなく下山し、無事に2000回記念登山が完了。翌24日早朝、名古屋「夏山フェスタ」会場へ直行し、予定通り「2000回登頂達成講演」を行うことができた。

小田原御幸の浜スタート時 (サポート隊・同行仲間と)

中継地点・金時山山頂
これまでの記念登山が無事に達成できているのは、ひとえに仲間や応援してくださる皆さんのお陰だと思う。
登頂2254回(2026年8月現在)の内、大半が単独登頂なのだが、記念登山は計画段階から楽しいもので、
勿論安全面やリスク管理等大変な事も多いが、必ず仲間が同行してくれる。
私にとって節目節目の記念登山は、今でもすべてが昨日のことのように鮮明で、
実に感慨深くかけがいのない山行なのである。

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