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山の日レポート

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通信員レポート「これでいいのか登山道」

【連載36】これでいいのか登山道

2025.10.01

全国山の日協議会

よりよい山の道をめざして、私たちにできることは何だろうか?

 連載36回目の今回は登山道法研究会の荒川秀敏さんに「中山道・碓氷峠について」というテーマでご執筆頂きました。以前、研究会では、この峠での見学会も行っています。
 皆様もお住まいの地域や出かけた山々で「山の道」について思ったことなどを、ご寄稿くださいましたら幸いです(ご寄稿先メールアドレスは文末にあります)。

【写真1】碓氷峠を登るめがね橋

連載36 中山道・碓氷峠について

文・写真  荒川秀敏(登山道法研究会)

【写真2】地形を克服する高速道路のトンネル

「峠」は人の往来を許した地の裂け目

 険しい山脈にも、必ず地形の“弱点”が存在します。それが「峠」です。その隙間を縫うようにして、古くから人々は道を拓き、鉄道や道路が通されてきました。峠は、山の厳しさを受け止めながらも、人の往来を許した“地の裂け目”とも言えるでしょう。峠は、ただの通過点ではありません。そこには地形と歴史、人の知恵と努力が交錯し、時代の流れとともに変化してきた足跡が刻まれているのです。

 有名な峠をいくつか紹介しますと、碓氷峠(関東山地・中山道、国道18号旧道、旧信越本線)、板谷峠(奥羽山脈・奥羽本線)、日勝峠(日高山脈・日勝道路)、八方台峠(会津磐梯山地・磐梯山ゴールドライン)などがあります。碓氷峠は、江戸時代から中山道屈指の難所として知られてきました。また板谷峠は、福島と米沢を結ぶ要路であり、米沢藩の参勤交代にも使われていた由緒ある峠です。日勝峠では、狩勝峠から襟裳岬まで150kmにも及ぶ長大な日高山脈が、一部破られることで全山縦走ルートは120kmに短縮されました。これにより、縦走の起点としての役割を日勝峠が担うようになったのです。磐梯山では、磐梯山ゴールドラインの開通により、磐梯山への登山距離が大きく縮まり、多くの登山者にとってアクセスがしやすくなりました。
 このように、峠を越えるために造られた道路は、登山という営みにも新たな可能性と変革をもたらしてきました。一方で、時代が進むにつれて技術が発展し、多くの峠はトンネルによって“越える”ことなく“避ける”ことができるようになりました(写真2)。けれども、碓氷峠はその例外です。

 碓氷峠の特徴は「片峠」にあります。たとえば、横川駅の標高は387m、軽井沢宿は942m、そして峠は1200mと、どうしても一定の高度を登らなければなりません。このため、トンネルによる水平な通過が難しく、登るという手段を避けることができないのです(写真1)。

(例) ・碓氷峠:横川駅(387m)-峠(1200m)-軽井沢宿(942m)
    ・清水峠:土合(600m)-峠(1300m)-土樽(540m) ※回避手段:上越線トンネル
    ・笹子峠:大月側(620m)-峠(1096m)-甲州側(620m) ※回避手段:中央道トンネル

【写真3】中山道を下る

よく整備された歴史の道。中山道横川側

 2023年秋、この片峠という大きな特徴を持った中山道碓氷峠の横川側を、登山道法研究会のメンバー4名と協力者1名で踏査した状況を報告します。
 利根川水系と信濃川水系とを分かつ中央分水嶺上にある碓氷峠を後にし、横川側へと歩を進めました(写真3)。横川側の道は全体としてよく整備されており、ところどころに小規模な崩壊地は見受けられるものの、通行には大きな支障はありません。整備状況は、遠く海外から訪れるインバウンドのハイカーにとっても、十分に満足いただける水準であると感じました。途中、南半球からやってきたという外国人ハイカーと出会う機会がありました。遥か遠くから文化も自然も異なるこの地を目指してきたその姿には、ただただ感心するばかりでした。今後、このような外国からの訪問者はさらに増えていくことでしょう。
 なお、この中山道・碓氷峠越えの道は、安中市によって維持・管理されています。とくに安中市教育委員会が発行している『歴史の道 中山道 碓氷峠越え整備基本計画』は、歴史的背景や整備方針が詳しく記されており、散策や研究の際に非常に参考になります。同資料はインターネット上でも公開されていますので、どなたでもご覧いただけます。沢を越えて「一つ家跡」付近に進むと周囲の空気がふとやわらぎ、心地よい山道が続きますが、その道の片側には、雨水が流れた結果、柔らかい部分を削って出来たと思われる浸食溝ができていました(写真4)。

【写真4】道の片側にある雨水により浸食されたと思われる浸食溝

 やがてルートの中央に位置する「山中茶屋」に近づくと、そこには古びた解説サインありました。それによれば、「山中茶屋からは登り坂が始まる。その急坂は山中坂と呼ばれ、かつては飯喰い坂とも言われた。坂本宿から歩いてきた旅人たちは、この急坂を空腹のまま登るのは無理と判断し、山中茶屋で腹ごしらえをしてから挑んだ。山中茶屋の繁栄は、まさにこの坂道によって支えられていた」と書かれております。
 茶屋の跡周辺にはかつての小学校跡もあり、時代を遡るような静かな感慨を抱かせてくれます。沿道のいたるところには、このような解説サインが設置されており、道を歩きながらも当時の風景や人々の営みを思い描くことができるのは、この道の大きな魅力のひとつです(写真5)。
 さらに栗が原付近へ進むと、浸食によって形成されたV字谷のような地形が現れます。歩行は困難ではなく、かえって自然の力を間近に感じられる区間となっています。道沿いには北向馬頭観音など、歴史的・信仰的な遺構も点在しており、静かに心を癒してくれるひとときが流れます。やがて国道18号旧道へと下る道に入ると、そこには水流をうまくコントロールするために木製の横断側溝が設置されています。このような側溝は山中に何か所かみられました(写真6)。

【写真5】各所に解説サインが設置され、往時の面影を偲ぶことができる

【写真6】木製の横断側溝が設置され、水をコントロールする工夫がなされている

古道の面影を色濃く残す軽井沢側

 さて、横川側がこれほどまでに整備され、訪れる人々を迎える準備が整っているのに対し、軽井沢側の本来の中山道は、草に覆われ荒れ果てたままとなっています。現在、多くの人々は見晴台から整備された遊歩道を利用しており、旧道そのものはほとんど顧みられることがありません(写真7)。
 軽井沢側の旧中山道は、森の中をひたすら下る道であり、これといった絶景があるわけではありません。しかし、それでもなお歴史に忠実に道をたどろうとする人々にとって、この旧道は意味ある道であり、今もひっそりと歩かれています。
 その道はしばしば分かりにくく、時には道を見失うこともあります。そうした際には、自らの感覚を頼りに、ルートを探しながら進む必要があります。けれども、そうした不確かさこそが、この古道の魅力であり、登山道の多様性という観点から見ても、あえて整備せずに自然のまま残しておくべきではないかと、私は考えております。

【写真7】軽井沢宿へ下る旧中山道。フェンスの左側に窪みが見られる

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