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『円空の冒険』諸国山岳追跡記(7)【岐阜県美濃地方編Ⅰ】 清水 克宏
2024.09.01
山岳修験僧円空の追跡がもどかしく、それゆえかえって引き込まれてしまう理由に、手がかりが断片的で、しかもそれが疑問や矛盾に満ちていることがあります。例えば、像の背銘が一部判読不能でいろんな解釈ができたり、大般若経の裏紙から発見された和歌が、背景が分からないと文字面だけでは意味不明だったり、円空に関する江戸期の文献が互いに矛盾していたりといった具合です。しかし、絵図(地図)や文献などで当時の時代状況を調べ、登山者としての知見を活かしながら現地に立つと、円空の後ろ姿がひととき見えたような気がして、より追跡に熱が入ってしまうのです。
今回は、生誕の地である岐阜県美濃地方での、造像開始直後からの足取りを追いかけます。
円空が寛永9(1632)年、現在の岐阜県美濃地方にあたる美濃国で生まれたことは、群馬県富岡市の一之宮貫前神社旧蔵の『大般若経』断簡に、自筆で「壬申年生美濃国圓空(花押)」と書かれていることから明らかです。
その生い立ちについて、江戸中期、寛政2(1790)年刊行のベストセラーである伴蒿蹊著の伝記集『近世畸人伝』には、「僧円空は、美濃国竹が鼻(現羽島市竹鼻町)といふ所の人也。稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出、富士山に籠り、又加賀白山にこもる。」と記されます。生誕の地については諸説ありますが、「予(わが)母の 命に代る袈裟なれや 法(のり)の形(みかげ)ハ 万代(を)へん」の歌があり、また北海道有珠善光寺蔵の観音菩薩坐像の背銘に「うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日 始山登 円空」とあることからすると、円空が幼くして母を亡くして出家したものの、寺を出奔し、蝦夷に渡る前には、美濃と近江にまたがる伊吹山を拠点に、噴火直後の有珠山に初登できるレベルの山岳修行をしていたことは確かなようです。
そして、円空が籠ったとされる霊峰白山(2,702m)は、広大な山域と豊富な雪により、加賀の手取川、越前の九頭竜川、越中の庄川、そして美濃の長良川などの水を育み、水のカミ、農耕のカミとして広く信仰されてきました。白山神社は全国各地に2,716社あるとされ、そのうち岐阜県が525社と最多です。円空は終生白山を信奉し、白山神の像や、その本地仏である十一面観音の像を数多く残しています。
円空の造像活動が最初に確認できるのは、郡上郡根村(現郡上市美並町根村)神明神社の、棟札から寛文3(1663)年11月6日に造られたことが分かる八幡大菩薩、天照皇太神、阿賀多大権現の神体3像です。これを皮切りに、円空は、同年から翌4年頃(寛文前期)にかけて、郡上郡南部-現在の郡上市美並町を中心にした地域の神社の神体を集中的に造像しています。像のリストと地形図を照らしあわせながらMTBで巡ってみたところ、美並町の北端と南端は、山が関所のように長良川(当時の郡上川)の両岸まで迫り、その内側に、河岸段丘上に耕地や集落が連なる独立した領域が形成されているのが印象に残りました。円空の神体像は、各集落を網羅するように置かれた社に祀られており、その多くは、「郡上郡四十九社」と呼ばれる、白山を開山した泰澄の創建伝承を持つ社でした。これらの社は、泰澄に連なる家系と伝えられる社家の西神頭・東神頭両家によって祭祀されており、おそらく、円空は、伊吹山から長良川沿いに白山に向かう往来に、両家と縁ができ、神体像を造ることになったのでしょう。
両家が、円空に集中的に神体像を造顕させた背景として、当時の幕府の宗教政策に目を向けると、寛文前期は、全国的に宗門人別帳が整備され、寺請制度が確立する時期にあたっています。両家が円空に神体像を造らせたのは、おそらく寺院と住民が制度的に紐づけされていく情勢下で、神威を高め、存続を図っていくためだったのではないでしょうか(東神頭家は江戸中期に廃絶し、西神頭家が祭祀を引き継いでいます)。
なお、郡上郡四十九社の集中する同地から北は、郡上藩の八幡城下も含め、室町時代に北陸方面から一向宗勢力が伸長し、その一大勢力圏となっています。白山への美濃側からの登拝路である「美濃禅定道」の起点となる白山中宮長瀧寺(郡上市白鳥町:明治初年の神仏分離で白山長滝神社と長瀧寺に分離)の末寺でさえ、ことごとく一向宗に改宗してしまったほどです。長良川沿いで山岳修験僧円空を受け入れてくれるのは、同地が北限だったようで、前回の愛知県編で触れたように、円空と尾張藩には密接な関係が認められるのに対し、郡上藩との関わりはまったく確認できません。円空にとって、同地がいかに大切な拠点だったのかがしのばれます。
なお、円空は、長良川の支流津保川沿いの藤谷村や鋳物師村(いずれも現関市)とも縁があったようで、寛文前期の像を残しています。円空は、寛文5(1665)年には伊勢、大和を訪れ、そして遥か蝦夷へと旅立ちます。
円空が蝦夷から帰還してから大峯山での修行に入る寛文12年までの期間(寛文後期)になると、活動の場は尾張や美濃の各所に一気に広がり、そしてその集大成として中観音堂を創建し、本尊十一面観音立像を中心とする諸像を造顕しています。
この寛文後期の円空像の特徴として、美濃を中心に「裳懸坐(もかけざ)」という、裳裾が台座に懸かり、垂れ下がっている形式の坐像が多数造られていることがあります。その中には、前回ご紹介した尾張藩家老石川家の領地に置かれた大型で裳懸坐が極端に長い像のほか、裳懸座が短めで大型の像や、小型ながら入念に造られた像もあります。しかし、最も多いのは、15㎝に満たない、主に観音菩薩の小坐像で、手は裳に隠すことで省略し、眼は一本線で刻むなど定型化・簡略化されたものです(画像3)。これら裳懸坐の像は、羽島市、岐阜市、関市、郡上市美並町周辺など長良川沿いに多く、地図にプロットしてみると、郡上藩だった美並町を除くと、ほとんどが美濃国内の尾張藩領にあることに気付かされます。
また、郡上郡南部(美並町周辺)については、引き続き西神頭・東神頭両家のもとで神体像を造顕していますが、それとともに民間や寺院にも多数の裳懸坐の小像を残しているのが、寛文前期と異なる点です。寛文前期には一介の無名な山岳修験僧に過ぎなかった円空が、蝦夷への遠い旅、尾張藩重臣らとの関わりなど、多くの修行と経験を経て成長した姿で当地に戻り、人びとと縁を結んだのでしょう。
これら裳懸坐の像が、寛文後期のみに集中して作られていること、長良川沿いを中心に分布していること、定型化・簡略化された小像が民間を中心に多数伝来していることを踏まえると、おそらくこれらの像は、中観音堂の創建に先立ち、円空が広く勧進するために造られた像ではないかと推測されます。
治水が十分でなかった当時、長良川や木曽川は頻繁に洪水を起こしました。特に慶長14(1609)年に、尾張国側に大堤防「御囲い堤」が建造され、美濃国は「尾張より低きこと三尺たるべし」といった制約を受けたため、より大規模な洪水が頻発するようになりました。なかでも慶安3(1650)年の通称「ヤロカの大水」では、竹鼻(現羽島市)周辺だけでも死者1,550人余り、死馬700頭余り、家が3,500軒余潰れるという大きな被害が出、続く万治3(1660)年の洪水でも同様に人家が多く流され、さらに寛文6(1666)年にも流戸245戸と被害が連続しています。
山岳修験僧円空が、等身大以上の本尊十一面観音立像をはじめ多くの諸像をおさめる観音堂を、知行主石川家などの支援があったとしても、独力で建立することは困難なはずです。円空は、広く勧進を行い、流域の人びとに共通する、洪水による死者の菩提を弔い、水を治めるという祈りを集め、長良川の母なる霊峰白山の本地仏である十一面観音像を本尊とし、中観音堂を創建したのでしょう。
なお、中観音堂の十一面観音像は、鎌倉時代の南都仏教界を代表する名僧解脱上人貞慶が発案し、南都を中心に流布していた、観音が往生者を補陀落浄土に迎える姿を表した踏割蓮台に立つ「十一面観音来迎」という独特な像容をとっています。円空は、寛文5年に法隆寺を訪れた可能性が高く、それ以降、三重の真教寺(津市)や、青森、北海道、秋田で、等身大に近い十一面来迎の像を多く試作し、その集大成として中観音堂の像を造顕しています。尾張藩との縁ができる以前から試作していた経緯を考慮すると、同像には、洪水で亡くなった多くの人びとともに、幼くして亡くした母の菩提を弔う強い想いも込められていたのではないでしょうか。
円空にとっての白山のことを考える時、水の恵みをもたらすとともに、時として洪水による災禍をもたらす長良川のことを併せて念頭に置く必要があることは、これまで記した通りです。そして、もうひとつ忘れてはならないのが、円空が生きた時代に重なる、天文16(1547)年から万治2(1659)年の現在のところ最後となる大噴火までの100年余りの期間は、白山の火山活動史の中でも、非常に活発な時期にあたっていたことです。
羽島市や、郡上市美並町のあたりからは、手前の山に遮られ白山を見ることができません(長谷川公茂氏著『円空の生涯』には、「加賀の白山を遠望できる」として画像が載せられていますが、それは能郷白山(1,617m)です。)。円空はおそらく、伊吹山の山上から万治2年の大噴火を目の当たりにしたはずで、蝦夷に渡り、有史以来の噴火活動を再開した山々の怒りを鎮める祈りを込めて山岳名を記した像を残したのも、怒れる白山を何とか鎮めたいという思いと繋がっていたことでしょう。
<注> 画像は、所有者の許可のもとに使用させていただいており、二次使用は固く禁じます。
(次回は、10月1日奈良県編を掲載予定です)
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