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山の日レポート

山の日レポート

山の日を知ろう

萩原浩司氏が語る「山の日」制定の歴史    2.周知運動の全国展開

2021.05.29

全国山の日協議会

リーフレットに記された「山の日」の意義

山岳5団体を母体とする「山の日」制定協議会は、「山の日」を制定する意義を広く国民に理解してもらうために2010(平成22)年、広報・啓発用のリーフレットを作成した。山に興味を持ってもらうために「山のクイズ」を冒頭に載せ、最終ページに「山の日」制定を呼びかけるメッセージを記している。その全文を以下に紹介しよう。

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わが国の国土は、7割近くが広い意味での山であり、その多くを森林が覆っています。古くから日本人は山を信仰の対象として崇め、森林の豊かな恵みに感謝し、自然とともに生きてきました。山の恩恵は渓谷の清流を生み、わが国を囲む海へと流れ、生きとし生けるものを育むだけではなく、豊かな心をも育んできました。わが国の文化は、「山の文化」と「海の文化」の融合によってその根幹が形成されたと言われています。
わたしたち山を愛する5つの山岳団体は、国民祝日としての「山の日」制定を提案します。「山の日」は、日々の生活と文化に結びついた山の恵みに感謝するとともに、美しく豊かな自然を守り、育て、次世代に引き継ぐことを国民のすべてが銘記する日です。この運動を通じてわたしたちは、登山者の安全と健康に寄与し、登山の楽しみを広く伝えたいと念願します。すでに祝日となっている「海の日」と対をなして、日本に住むすべての人々が、山という自然を見つめなおし、深いかかわりを考える日にしたいと思います。
わたしたちの提案に賛同され、より多くの方々、団体より、ご理解とご支援、ご協力を賜りますようお願いいたします。   

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10万枚製作されたリーフレットは、各登山団体や登山用具店、山小屋などを通じて広く配布された。好評だったため、以後、2年間で「健康編」「安全編」「動物編」などの4つのシリーズを発行。記載されたアピール文は各地で開催される山岳イベントなどでも利用され、「山の日」の広報活動に大いに役立てていただくことができた。

全国の府県にあった「山の日」

ところで、山岳5団体による「山の日」制定協議会の発足以前に、独自に「山の日」を設けて運動をしている自治体があった。調べてみると、「山の日」という名称で記念日を制定している府県が、2012年の時点ですでに13もあったのである。
なかでも「山の日」の県民運動に積極的だったのが山梨県と広島県である。

山梨県は1997(平成9)年に8月8日を「やまなし山の日」と定め、官民が力を合わせて、前後の2カ月間に50余もの山にまつわるイベントを展開していた。山梨県は富士山や南アルプス、八ヶ岳、奥秩父といった山々を擁し、78%を山と森が占める森林県であり、山から多大な恩恵を受けている。それを十分に理解し、次の世代に継承していこうということで機運が盛り上がり、山の日を制定することになった。

8月8日を「やまなし山の日」にした理由は、漢字の八が山の形に似ているから。1997(平成9)年2月に「山梨百名山」が制定され、選定の過程でさまざまな意見交換があり、その流れでぜひとも「山の日」を制定しようという運びになったという。同年8月8日には大々的な記念行事が行なわれ、山の日宣言が出された。以後、《山に親しむ》《山に学ぶ》《山と生きる》の3つの柱をコンセプトに、森の教育活動、登山教室、自然観察会、写真コンクールなどが開催されている。2005年からは山梨学院大学の協力を得て「山の博覧会」を開催。これは山や自然をテーマに、講演や映像で山に親しみ、学ぶイベントで、例年450人収容の会場がほぼ満席となる盛況ぶりを示している。以降、山梨県では毎年6月から9月にかけて、県内各地で「山」に関連するイベントを開催するようになった。

2002(平成14)年から6月の第1日曜日を「ひろしま山の日」とした広島県では、民間が主導し、県や市などの自治体のバックアップを得て「山の日」に向けた記念行事を重ねていた。たとえば尾道会場でのイベントでは、浦島漁業協同組合がブース出展。「海を味わうランチタイム」としてアサリの味噌汁を提供し、山から流れ出る水が豊かな海産物を育んでいることへの感謝の気持ちを表した。尾三地方森林組合は、山の手入れについて体験会を開き、森を育てることの大切さをレクチャー。他にもボランティア団体が木工教室や自然観察ツアーを開催するなど多くのイベントを開催し、子どもからお年寄りまで幅広い層の来場者を得ていた。その規模は年を追うごとに拡大し、県内10余の会場に1万人を超える来場者をみた年もある。

広島県の「山の日」運動は、そもそも西条の酒造組合による社会貢献活動が原点にあった。おいしい酒を造るためには豊かな地下水が不可欠。そのためには水源となる山や森を守らなければならない。そこで「酒一升の消費に対し1円」を西条酒造組合が基金として拠出し、西条周辺の山や水や里の保全活動を始めた。それが出発点となり、2002年に東広島市で開催された「第7回森林と市民を結ぶ全国の集い」を経て、「ひろしま山の日県民の集い」が始まったのである。今では民を主体にメディアも加わり、地元の高校や大学とも連携し、それを行政がバックアップするという実行委員会方式で企画運営を行なっている。このように実行委員会形式で地域に密着したプログラムを展開・運営する広島県の手法は、その後の「山の日」運動を進める上で参考となった。

その他の地域での動きとしては、2010(平成22)年に群馬県沼田市で開催された全国育樹祭を記念して、10月の第1日曜を「ぐんま山の日」に制定することが決定。群馬県は2008(平成20)年に10月を「ぐんま山と森の月間」と定め、山や森に親しみ、そこに学び、その恵みに感謝し、そこを守る取り組みを率先して推進する運動を展開していた。2010年10月の全国育樹祭開催は、こうした運動を拡充する好機ととらえ、開催に先立つ2月に「ぐんま山と森の月間」推進協議会の名によって「ぐんま山の日」制定宣言が発信されたのである。

さらに長野県、栃木県などでも独自に「山の日」を考えるイベントが企画され、機運を盛り上げようとする動きが見られた。「山の日」制定協議会のメンバーは、各地方で開催される山のイベントに協力し、互いに学びながら「山の日」の広報・啓発活動を続けていた。

関東知事会が「山の日」制定を国に要望

2011(平成23)年、国民の祝日「山の日」制定に向けた運動は少しずつではあるが前に進み、協議会は、いよいよ国会議員に向けた働きかけを本格化しようとしていた。2月には要望書を作成し、「山の日」制定協議会の名前入りの封筒まで作って議員会館に赴く準備を進めていた。ところが3月11日、東日本大震災が起きた。祝日制定どころの話ではなくなった。山の仲間の多くは被災地に出かけ、「山の日」制定への関心は一時的にだが遠のくことになる。

そうしたなか、関東地方知事会(東京、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、山梨、静岡、長野の1都9県で構成)が2011年10月の定例会議のなかで、祝日としての「山の日」の制定を国に要望することを決めた。自治体トップの集まりが国に祝日化の要望を出したのは初めてのことであり、いくつかの新聞も、この話題を大きく取り上げている。提案したのは栃木県の福田富一知事で、長野県の阿部守一知事らが率先して支持の意見を述べたという。

その長野県は、要望書を提出した翌月の11月20日、松本市で「岳都松本・山岳フォーラム2011」を開催する。山の楽しみや恩恵を周知するとともに、国民の祝日「山の日」制定の機運を高めることを目的としたイベントで、ホテルの会場には1000人もの人が集まった。協議会メンバーは、シンポジウムで「山の日」制定運動の現在を語り、「山ガール」に代表される当時の登山ブームについて講演を行なうなどしてイベントを盛り上げた。2012年以降も、同イベントは毎年、盛大に行なわれ、協議会メンバーは今も積極的に応援を続けている。

その後も、山の恵みに感謝し、自然を守り、山がもたらす恩恵を後世に伝えようとする山のイベントが各地で開催されるようになっていった。「山の日」制定協議会を構成する日本山岳協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会も、それぞれが全国に支部を持つ強みを生かし、地方ごとに開催される山のイベント企画を奨励。さらに講師を派遣するなどして、講演会や登山教室、森林整備など、各地での「山の日」活動に協力し続けた。

「山の日」制定に向けた広報・啓発活動はここまで進んで、全国的な展開への確かな手ごたえを得たといえるだろう。

萩原浩司(山の日アンバサダー)

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