山の日レポート
山の日を知ろう
筑波大学山岳科学学位プログラム「山岳教養論」講義
2022.11.09
山岳科学学位プログラムは、山岳地域を取り巻く環境問題の解決や山岳生態系の持続的管理などに対応できる人材育成を目指して、2017年に筑波大学・信州大学・静岡大学・山梨大学の4大学が連携して創設された新たな大学院(博士前期課程)です。
このプログラムで必修となっている「山岳教養論」の講義を、今年もまたお引き受けしました。
これまでは国民の祝日「山の日」の制定の経過、その実効性などについての講義をしてきました。
どちらかというと自然科学系の研究生が多いので、あえて今年はやや少し趣向を変え、世界で初めて「山の日」という祝日を制定した日本の、その豊かで危うい「自然」、そしてそのような自然環境ゆえに醸成されてきた「日本人の自然観」について、平安時代の文学「竹取物語」「源氏物語」を紐解いて自然観の形成過程を論じることにしました。
テーマは「国民の祝日『山の日』の背景 〜平安文学に遡って考える〜」としました。
竹取物語は日本最古の物語、そして世界最古のSF作品とも言われますね。
かぐや姫が月に還ってしまい、帝は受け取った「不死の薬」と手紙を、
あふ(う)ことの 涙にうかむ 我が身には 死なぬ薬も なににかはせむ
(かぐや姫はもう居ないんだし長生きしても仕方ないじゃん、といった意味です)
とおっしゃり、家来に「どの山が天に近いか」と問い、家来の「駿河の国にある山が天に近いです」の答えに沿って、高い山に登り、その山頂で不死の薬と手紙を併せて燃やします。以来その山を「富士の山」と名づけたそうです。その煙は今も雲の中へ立ち昇っているという言い伝えがあります。
竹取物語では、想いを込める場所として「山」が意識されていることがわかりますね。
神への祈りの対象としても山は役割を担ってきましたが、喜びや悲しみ、整理できない気持ちを山に託し、自分を取り持っていた人々は多かったのかもしれませんね。
変わって「源氏物語」。
「須磨の巻」では、宮中で罪を犯してしまった光源氏が、その罪を償うために自ら旅立った場所として須磨の海が描かれます。須磨の海はとてもわびしいところです。そんな海で自身を見つめ直し、他人との関わりを絶って気持ちの整理をする場所としたのでしょう。海もまた、人々の気持ちに寄り添って話を聞いてくれる機能のあるところとして意味づけされていたのでしょう。
「若紫の巻」は、京都北部の鞍馬山が舞台です。光源氏の最愛の女性、紫上の少女時代である若紫との出会いの寺である「北山のなにがし寺」が鞍馬寺としてリアルに描写されています。
清少納言の『枕草子』にも鞍馬寺近くの由岐神社から本殿金堂までの九十九折参道を「近うて遠きもの、遠くて近きもの」の前者「近くて遠いもの」の例えとして書かれています。平安京から離れた異界性が、こうした感性を踊らせたのでしょう。
鞍馬寺は桜の名所として広く知れ渡り、京都所司代や町奉行所が、鞍馬山の桜をみだりに折ってはならないという禁制『花の制札』まで発布しています。これって「平安の自然保護政策」ですよね!日本初のSDGs!
竹取物語で平安人が「山」に求めた異界性、
源氏物語 須磨の巻で平安人が「海」に求めた異界性、
源氏物語 若紫の巻で平安人が「蔵馬」に求めた異界性、
自然は、平安期からすでに人間にとって精神の拠り所だったのですね。
山と自然の実学的な知識はもちろん、人々の足跡や思いを詠った歌や句をたどりながら山や川の自然に触れ、第六感を刺激し、日本人の人生観・自然観について考える機会になさってみてはいかがでしょうか?
今回は平安期の文学に当たってみましたが、また機会があれば、鎌倉→室町→戦国→江戸、そして近代へと検証を進めたり、山岳宗教へと進展する神仏混淆のことにも触れてみたいです。
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