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山の日レポート

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通信員レポート「これでいいのか登山道」

【連載】これでいいのか登山道 歩く道を憲法で保護したスイス

2023.09.14

全国山の日協議会

よりよい山の道をめざして、私たちにできることは何だろうか?

この連載も11回目となりました。今回はこの夏に刊行になった登山道法研究会の報告書『めざそうみんなの「山の道」-私たちにできることは何か-』にもご寄稿頂きました駒澤大学名誉教授の野島利彰さんに、スイスの「歩く道」に関して教えて頂きます。

連載⑪ 歩く道を憲法で保護したスイス ― 歩く道へのこだわりとアルプスの生活 ―

文・写真 野島利彰(駒澤大学名誉教授)

 人口870万ほどの小国スイスは、26のカントン(=州)で構成する連邦国家です。この国は政治制度の随所に直接民主制を取り入れている国としても有名です。憲法に関してもその内容を国民が提案し、その条文を憲法に採用させることができます。これをイニシアチブあるいは国民発案と言います。
 「スイスは登山道に関して憲法で定めている」と《憲法と登山道》の組み合わせがよく不思議がられますが、この組み合わせは正にこの直接民主制のおかげなのです。そして憲法とは国民ではなく為政者が守らなければならない法なのです。

ヴィースナーアルプ、標高1945m、黄色い標識は国が認定した歩行路を示す

スイス憲法 88条は次のように言っています。

88条 徒歩路、山野歩行路
1. 連邦は徒歩路、山野歩行路、自転車道の各ネットワークについて基本原則を定める。
2. 連邦はこれらのネットワークの設置と維持に関し、またネットワークの案内・紹介に関し、州ならびに第三者が行う措置を支援し、調整することが出来る。その際に連邦は各州の権限を尊重する。
連邦はその任務を行なうに際しネットワークに留意する。連邦は徒歩路・山野歩行路・自転車道を廃止した場合、それに代わる道を設置する。   [注]下線は筆者。

[注] 上記はネットの「各国憲法集 (12)スイス憲法」の訳文を参照し、訳語「歩行者用道路」を「徒歩路」に、「遊歩道」を登山道も含められているので「山野歩行路」に入れ替えました。また2018年に自転車道が追加されました。「各国憲法集」は2012年時点のスイス憲法の翻訳です。

森林限界が近いアルプの風景

歩く道を護ろうという気運の高まり

 スイスでも1960年代からモータリゼイションが始まり、ハイキング路や登山道周辺まで車が入り込み始めました。車が入るため道は鋪装され、拡張され、歩く道は危険にまた騒々しくなりました。そして交通事故の多発。こうした状況のなかで「歩く道を護ろう」という機運がチューリヒ住民の間に高まり、イニシアチブを目指す団体を立ち上げ、認可を受け、1974年に署名活動を始めました。イニシアチブに必要な署名数は当時5万人でしたが、活動を始めてわずか4ヶ月で123,000人の署名を集めました。これを議会に提出、議会は要求内容を審議し、法案を作り、案が議会を通過しました。この案が1979年2月に国民投票に掛けられ、投票総数の78%の圧倒的賛成票を得て法案が成立しました。

 短期間で集まった署名数、また国民投票の賛成票78%という数字は、人々がどんなに安心して歩ける道を求めていたかを示しています。考えてみれば人間はつい最近まで歩いていました。日本ではそれがまったく忘れられ、まるで歩く人がいないかのように道路が作られ、道路端に白線を引くことで歩行者の道が作られました。

夏期に滞在する小屋、中でチーズなどの酪農製品が作られます

 憲法88条の意図に沿い、その実施を容易にするため「徒歩路・山野歩行路に関する連邦法」が1985年に施行されました。その中で第7条「代替路」が憲法88条3項「廃止した場合」(上記88条の下線部参照)を具体的に示しています。

(1) 徒歩路と山野歩行路はことに以下の場合には代替しなければならない。
 a. それらがもはや自由に往来できなくなった時
 b. 崩壊により深く抉られ、また崩落により塞がれた時、そのほか行路が中断された場合
 c. 比較的長い距離、車両の交通が多くなった、または一般車両に通行が認められた時
 d. 比較的長い距離舗装が施され、歩行者には不適当である場合

このc項とd項の、徹底して歩く道を保護するスイス人の姿勢を羨ましく思います。

共有の牧草地と滞在小屋、放牧権利者の過ごす小屋

牧畜農民たちの歩く道へのこだわり

 この歩く道への「こだわり」はアルプス(Alps)のalpという語に由来するのかも知れません。アルプ(alp)とはスイスドイツ語で高地の牧場のことです。スイスは樹木限界が2000mほどで、そこを越えると草原が優勢になります。しかし3000mを超える高山地帯では植物は岩壁の下部や岩の隙間などに隠れ、美しい花を咲かせます。もはや牧草は見られません。それ故アルプは放牧可能な最後の地です。

 麓の牧畜農民たちは春になると牛や羊などの家畜を連れ、牧草が伸び始めた山の草地に行き、家畜を放ち、草を食べさせ、草が尽きるとまた山を上り、新しい草地に行きます。山では草地も気温に従って山を上ります。高地牧場アルプの草が伸びるのは夏です。山を上ってきた牧人たちは最後にこのアルプで夏を過ごし家畜を十分放牧し、長期滞在用の小屋でチーズなどの酪農製品を作ります。やがて夏が終わり、牛が草を食べ尽くすと、こんどは山を下り、夏の間に再び成長した草地を巡りながら少しずつ山を下り、そして厳しい冬になる前に家畜たちを冬越しの小屋に入れます。

 スイスの山々がアルプスの名で一括りにされるのは、この高地で多くの牧畜農民がそのような生活をしていたことを意味しています。そこでは山を歩くことが生活だったのです。

昔ながらの丸太作りの小屋

***「登山道」に関するご意見や投稿を募集します***

登山道法研究会では、この度、『めざそうみんなの「山の道」-私たちにできることは何か-』という報告書を刊行しました。頒布をご希望の方はこちらをご覧ください。

【連載】これでいいのか登山道 『めざそうみんなの「山の道」-私たちにできることは何か-』

また、このコーナーでも、全国各地で登山道整備に汗を流している方々のご寄稿なども掲載できればと思います。
この記事をご覧の皆さまで、登山道の課題に関心をお持ちの方々のご意見や投稿も募集しますので、ぜひご意見、ご感想をお寄せください。
送り先=gama331202@gmail.com 登山道法研究会広報担当、久保田まで

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