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山の日レポート

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通信員レポート

思い出(自然保護活動について)

2023.09.14

全国山の日協議会

日本山岳会東九州支部 首藤宏史さまのレポートです

1971年(昭和46年)から50年を越える自然保護活動の歴史について書いてくださいました。

「祖母・傾の原生林を守る会」を結成

自然保護に取り組み始めたのは、昭和46年、山として初めて感銘を受けた傾山の西側どうかい谷から山手本谷、つまり三尾から三坊主、二坊主にかけての下側の自然林(原生林)が皆伐され、見るも哀れな姿となっており、林道建設も土砂を谷側に垂れ流すずさんな工事で、このまま伐採が進むと大変なことになるとの思いからでした。
当支部会員で大分県山岳連盟の役員でもある梅木秀徳さんや、甲斐一郎さん、私をはじめ県山岳連盟の仲間や生物関係の皆さんをはじめ関心を持ってくれた方々と「祖母・傾の原生林を守る会」を結成し、祖母・傾山系の自然林(原生林)伐採中止と自然林保護の活動に取り組むことになりました。

表紙に用いた伐採現場の写真

自然林(原生林)の大切さを知って頂く

以前から自然林(原生林)の伐採が行われていたが、人力に頼る遅いペースで足場の良い場所でしたし、その状況もあまり人目に触れることもなく、気にしていませんでしたし、人々の自然保護についての関心もあまりありませんでした。ところが、昭和40年代になって、伐採機材の進化で、自然林が瞬く間に伐採されるようになり、前途のような哀れな状態になりました。

それから現地調査をしたり、原生林の伐採反対の署名活動、営林署、営林局、環境庁、林野庁に陳情するなどの活動を続けましたし、大分合同新聞も大きく取り上げてくれました。
さらに、原生林の大切さを知って頂くことも必要だと言うことで、昭和48年学者の方々や県にお願いし「祖母・傾山系の林道開発と原生林伐採に伴う緊急な自然保護」(2枚の写真は表紙に用いた伐採現場の写真と羽田野二男、首藤が調査して作成した祖母・傾国定公園植生概念図)という冊子を作り関係先に配布したりしてアピールしました。

このころ宮崎県大崩山系の原生林保護、鹿児島県屋久島の屋久杉の保護活動も行われていましたし、新聞各紙も取り上げてくれるようになり、少しずつ県民に理解が広まっていったと思います。
さらに、対県交渉を続け、昭和49年には県議会に請願書を出しましたが、不採択になりました。が、自然を守る会山岳部会の請願書は継続審議となりましたし、自然林(原生林)伐採中止の運動は続けました。
 

羽田野二男、首藤が調査して作成した祖母・傾国定公園植生概念図

ごみ投棄

一方、祖母・傾山系、くじゅう山系や由布・鶴見山系などにごみ投棄も多く、山の清掃も必要だと言うことで、昭和52年から清掃活動も始めました。
岳連会員やボランティアの方々と、久住山山頂付近の崖下には沢山のごみが投げ捨てられ、大きなごみ袋に何十袋もザイルを使って引き上げ、長者原に担ぎ降ろしたり、坊がつる一帯を大々的に清掃し、ごみを長者原に担ぎ降ろすなどの活動や啓発活動を10年近く続けていくうちに、一般登山者にも理解が進み、ごみを持ち帰ってくれるようになりました。
 

自然林(原生林)伐採中止の運動

昭和55年祖母山系の大障子17林班の伐採問題が起こり、現地調査をしたり、祖母・傾の原生林保護の請願書を県議会に出したり、交渉したりしているうちに、世論の理解も進み原生林伐採にもブレーキがかかるようになり、一定の成果が得られたと思っています。
昭和59年くじゅう山系黒岳の男池から奥一帯にかけ、ケヤキを中心とした自然林(原生林)の大木が伐採されそうになり、岳連の仲間と伐採候補木の一本一本を調査し、地元庄内町阿蘇野の方々と連帯を取りながら、伐採中止の運動を進めました。営林署へ陳情書提出、黒岳原生林保護の請願書を県議会に提出、同時に県知事や環境庁、林野庁に要望書を提出しました。この頃になると自然保護の大切さが理解されるようになり、県議会で請願が採択されるなどして、黒岳の自然林(原生林)は伐採されることなく守られることになりました。

山域全体で自然の豊かさがなくなりつつある

近年、スズタケが枯れ、ブナの立ち枯れも目立ち、アケボノツツジやヒメコマツ(五葉松)も少なくなりました。尾根一帯に枯れ木が目立ち、勢いがなくなった感じです。天然記念物の二ホンカモシカも山頂付近くからいなくなり、山麓近くで見かけたり、個体数も減っているようです。また、川の水量も減り、川魚も極端に少なくなりました。山域全体で自然の豊かさがなくなりつつあり、先々が思いやられます。

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