山の日レポート
通信員レポート
書 評 「モンスーンの世界 ー 日本、アジア、地球の風土の未来可能性」
2023.07.01
安成 哲三 著 『「モンスーンの世界」日本、アジア、地球の風土の未来可能性』 (中公新書 2023年5月)を読む
鹿野 勝彦(文化人類学、南アジア・ヒマラヤ地域研究)
近年、集中豪雨や酷暑などによる災害が発生すると、しばしば太平洋の海面水温の変動との関係で説明されたりするが、著者はいわゆるビッグデータを用いて、そういった異常気象の発生や気候変動の予測などの研究を、長年にわたって第一線で牽引してきた。
私もそういった研究成果については、関心を持って注目してきたのだが、数式や数値に弱いため、その背景となる大気や水の循環にもとづく理論について理解することは、最初からあきらめていたところがある。
本書はこういった地球、とりわけ私たちに身近な日本、アジアの気候を決定する要因としてのモンスーン(季節風、とその影響下にある気候)が持つ意味と、近年におけるその変化について、私のような文科系の人間を含む一般市民を対象に、正確に、かつわかりやすく語りかける解説書である。
わかりやすく、親しみやすく説くためのなみなみならぬ意欲は、日本の気候の特徴を多くの俳句をひいて明らかにする導入部からも感じ取れる。引用されるのは芭蕉、蕪村といった古典ばかりでなく、現代俳句におよぶ。
本論では、まず大気と水の循環によって、地球の各地域の気候がどのように形成され、変化するかの大枠が示されたのち、アジア大陸の気候を決定する要因としてのモンスーンと、その影響が大きな意味を持つ南・東南・東アジアの亜熱帯から温帯にかけての地域の気候の特徴が示される。それらの地域では、地形,とりわけヒマラヤ山脈とチベット高原という高地の存在が、大気と水の循環に影響し、気候のありかたを規定してゆくことも明らかにされる。
気候はたしかに当該地域の生物相(特に植生)のありかたを決定するのだが、実はその生物相のありかたもまた気候に一定の影響を与えると、著者は述べる。気候と生物相は「相互作用系」だというのだ。ここまで読むと、著者の視点は、単に大気と水の循環にかかわる数値だけでなく、地形や生物相など、多様な分野に及んでいることがわかってくる。
そして本書の後半では、著者の視野はそれらの地域に住む人々の生活世界へと拡がってゆく。モンスーンが影響を持つ空間は、世界の総人口の半数以上が住む地域でもある。そこではモンスーンに規定された自然のもとで、多様な文化が形成されてきたが、19世紀以降の近代化の過程で人々の生活は急速に変化し、人の営みが自然を改変してゆく、いわゆる「人新世」に入ってゆく。今、モンスーンの及ぶアジアは、地球温暖化や広域大気汚染が深刻な、地球環境問題のホットスポットとなっているのだ。
こういった本書の視野の広さは、実は著者がもともとはヒマラヤの氷河観測などに携わった経験豊富なフィールドワーカーでもあることと関係するのかもしれない。
そういった状況を私たちはどう捉え、どう行動してゆくべきなのか。著者の問いかけは重い。本書には、私などには未知の術語も用いられているが、それらは丁寧に解説されているし、随所に特定のトピックに焦点を当てて解説するコラムも挿入されていて、誰もが関心を持って読め、理解できるように、という著者の意図は一貫している。また図版も多く用いられており、理解を助けてくれる。
一人でも多くの方に手に取ってほしい1冊として推奨したい。
【プロフィール】 安成哲三(やすなり・てつぞう) 気象学者
1947年、山口県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。
京都大学東南アジア研究センター助手、筑波大学地球科学系教授、名古屋大学地球水循環研究センター教授、地球フロンティア研究システム(海洋研究開発機構)領域長(兼任)、総合地球環境学研究所所長等を経て、現在、京都機構変動適応センター長、総合地球環境学研究所顧問、筑波大学・名古屋大学・総合地球環境学研究所各名誉教授、専攻、気象学・気候学・地球環境学、全国山の日協議会 科学委員会委員長。
著書「地球気候学」(東京大学出版会、2018)、「水の環境学――人との関わりから考える」(共著、名古屋大学出版会、2011)、「現代地球科学」(共著、放送大学教育振興会、2011)、「新しい地球学――太陽―地球―生命圏相互作用系の変動学」(共著、名古屋大学出版会、2008)、「気候変動論」(共著、岩波書店、1996)、「ヒマラヤの気候と氷河」(共著、東京堂出版、1983)など。
RELATED
関連記事など