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山の日レポート

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通信員レポート

ネパールにおける自動車道路の発達:その3

2023.07.11

全国山の日協議会

文:丸尾祐治さん 写真:吉井修さん

2回目のGHTで予定したコースの概ね3分の一程歩いたところで、シェルパ族の人たちが暮らす村ホンゴンに着いた。この村には本格的な水力発電所があり、1日中電気を使うことが出来た。この発電所は村の背後の尾根を越えた向こう側の川から取水堰で取水し、尾根上で一旦貯水し、そこから高圧パイプの導水管で水を落として発電している。我々はホンゴンから次の宿営地であるバキム・カルカに向かう際には、発電所の脇を通り導水管に沿って尾根へと登って行った。

ホンゴン村にある本格的な水力発電所。背後に落差約150mの導水管が見える。 撮影:丸尾

ホンゴン村の背後の尾根上にある貯水槽。満水であった貯水槽が見る間に空になってしまった。韓国製のパワーショベルが道路工事を行っていた。

尾根上には導水管に接続してコンクリート製の貯水槽があり、我々が尾根に着いた時点では満水の状態であった。我々が進むべき右手前方ではパワーショベルを使って道路工事が行われていたので、ポーター達と同様に我々もここで小休止をした。道路工事が行われていたこの道は、コシ・ハイウェイの北側の延長線であり、2日前に通ったチャムタンで見た建設中の道路に接続される計画である。ネパール道路局の計画によれば、コシ・ハイウェイは南側のインドとの国境付近のビラトナガールから、北側キマタンカ(Kimathanka)まで総延長390㎞の国道で、中国側の町チェンタン(Chentang)とを繋ぐとしている。

チベットに発してネパールをほぼ南北に流れるアルン川西岸にあるチャムタン村(画面下方)。その背後に建設中の自動車道路が見える。その向こうはるか西方にはマカル―がそびえる。

尾根上で5分程度休憩したであろうか。しばらくすると貯水槽の水が減り始め、瞬く間に空になってしまった。道路工事の重機が発電用の送水管を壊してしまったらしい。パワーショベルが工事現場から引き返して来たので、我々はその道を進むこととした。道路の工事現場では壊れた送水管から漏れ出た水が大きな水溜りを作っていた。ネパールでは自動車道路のネットワークが急拡大しつつある一方で、住民とのトラブルや他の開発プロジェクトとの間でこの時見たような軋轢が各地で起こっているのであろう、と推測される。ホンゴンの人達は、しばらくの間電気のない生活を強いられたであろう。

2回目のGHTが終わりに近づき、新しいホテルやレストランが建設されているチュクンやディンボチェに下りると、非常に多くのトレッカーとすれ違う。トレッカーと共に荷を背負ったヤクやロバの群れとも頻繁に行き交う。彼らが背負うのはガスボンベであり、米や小麦の入った袋、スパゲティーの箱、ビールのタンク等が目立つ。これらの荷物は、後述する自動車道路の終点からエベレスト街道で猛烈な勢いで増えつつある、トレッカーが利用するホテルやレストランに向けて運ばれているのである。我々は1日で恐らく数百頭の荷物を背負ったヤクやロバと行き交ったであろう。一方、頭の上では早朝6時頃からひっきりなしにヘリコプターがルクラを基点にして、トレッカーを乗せてエベレストBCや、ホング谷方面に向けて飛び回っている。

注:エベレスト街道とはエベレスト・ベース・キャンプを終点とするトレッキング・ルートである。以前は、アーニコ・ハイウェイのラモサングが始点とされていたが、現在は飛行場のあるルクラから歩き出すトレッカーが多い。

空のガスボンベを背負ったヤクがエベレスト街道のドゥドコシに架かる橋を下流に向けて渡る。

充填したガスボンベ等を背負ったロバの群れがエベレスト街道を上流方面に向けて進む。

2回目のGHTで徒歩による活動の最後となる日、我々は朝食も取らず早朝に前夜の宿営地であるパイヤを立ち、途中の茶店でネパール製のインスタントラーメンを食べる。食後の紅茶もそこそこに先を急ぐと、狭い山道で荷物を背負ったおびただしい数のヤクやロバの群れと行き交った。この日の午前中、3時間程度歩いた中で、恐らく500頭以上の荷役のヤクやロバの群れに出会ったであろう。この動物たちをやり過ごしながらしばらく歩くと、建設中の自動車道に出会う。ここでも1台のパワーショベルだけで道路の延伸工事が行われていた。

この自動車道は、国内有数のトレッキング・ルートであるエベレスト街道に平行して走ることになるが、道路局が発行している国道のリストには掲載されておらず、どこまで延伸するかの計画は不明である。実は前に記述したコシ・ハイウェイのホンゴンやチャムタンの道路部分は、マカル―・バルン国立公園の中を走っている。この道路もサガルマタ国立公園の中まで延伸するのだろうか。

カンレ付近の道路工事現場。この道路は国内有数のトレッキング・ルートであるエベレスト街道に並行して走る。

カンレの街外れには、エベレスト街道にあるホテルやレストランに向けて運ばれる商品が山積されている。ここから先はヤクやロバの背で運ばれる。

建設中の自動車道路を横切って、尾根沿いに急坂を下ると再び自動車道路に出る。眼前のカンレ・バザールの街外れの道路には、荷待ちのヤクやロバがたむろして、ガスコンロやビールのタンク等が山積みされており、さらにその先にはインド製の4輪駆動車が20~30台ほど並んでいるのが見渡せた。我々は、地元でのルールによれば、並んで客待ちをしている先頭車の運転手と、カトマンズまで移動する場合の値段を交渉しなければならないことになっていたが、我々のシェルパ・ガイドは、予め彼らの同じ村出身の運転手と電話にてそれを交渉済であった。そのため我々は、トラブルを避けるため、カンレ・バザールからさらに1時間ほど先の旧道であるエベレスト街道と新しい自動車道路が交差する地点まで歩くことになった。

我々は、2台のインド製4輪駆動車に分乗して、11時10分に発車した。自動車道路は、やっと車2台がすれ違えることが出来る程度の広さで、道路表面は凸凹が著しく、時速15㎞前後で走る車は激しく揺れた。それでも我々は、これ以上歩き続ける必要がなくなったことで、激しい揺れも何故か心地よく感じられた。途中、アデリ(Adderi)でドゥドコシを左岸に渡り、ソル地方の中心地であるサラリ(Salleri)には夕方暗くなってから到着した。サラリから先は道路局が管轄する国道(Madar-Katari-Salleri Highway(NH20))で、舗装がされており、その日の宿営予定地のダップ(Dhap)には夜8時少し前に到着した。

翌日、7時頃宿舎を立ち、尾根沿いの町オカルドゥンガを通って、カタリと言うところで大河スンコシを渡る。そこからスンコシ左岸に建設された別の国道を通って、この旅の1日目に昼食のため立ち寄ったクルコット・バザールで昼食を取り、日本の協力で建設されたBPハイウェイを経由して、午後3時頃カトマンズの宿舎に入り、50日間に及ぶGHTの長い旅が完了した。

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