山の日レポート
山の日インタビュー
「縦横無尽 雨宮節 沖縄と山を語る」#9
2023.05.15
【山の日インタビュー】 この人に聞く「山」の魅力
雨宮節さん(登山家)は2年前までの12年間沖縄で暮らしていました。今年8月11日に沖縄で開催される山の日全国大会を盛り上げるために、雨宮さんに沖縄の山々そして自然の魅力を語ってもらいました。
鹿野 山から離れるはずだった沖縄で、また山とのつながりができたのはどういうきっかけからだったんですか?
雨宮 沖縄に行って3年目の2011年12月かな。村内の海岸(松田区)に遊びに行ってて、面白そうな岩を見つけたんだよ、琉球石灰岩の。本州ならフリークライミングの対象としてクライマーが押しかけそうな岩なんだけど、ここにはそんなことやってる人がいないから全く手つかずみたいなね。で、つい手を出した。血が騒いだっていうのかな。
雨宮 たまたまそのすぐあとの2012年に、国体、今は国民スポーツ大会っていうあれのスポーツクライミングの予選の九州ブロック大会を沖縄でやることになった。国体にはそれまでも山岳っていう種目はあったけど、縦走とかが主で、沖縄にはあんまり山に登る人もいなかったから、沖縄ではそれほど力は入れてなかったらしい。そもそも県に岳連(山岳連盟)がなかった。
でもスポーツクライミングは新しい競技だから、本気でやろうってことになった。予選くらいは突破したいってね。
で、まず岳連(山岳連盟)を立ち上げることから始めたわけよ。ただ、本格的な登山の経験者があんまりいない。誰かいないかってことで、どうもあいつは昔ヒマラヤに何度も行ったことのある登山家らしいっていうことがどこかから伝わったらしく、初代の会長に引っ張り出されたわけ。僕は幸い「代々木山幸」のころにボルダリングもすこしやってたし。
鹿野 区の老人会長から、県の岳連の会長ですか?
雨宮 そう。笑っちゃうよね。なにしろ岳連には事務局員が一人だけで、お金もないでしょう。まずスポンサーを探してお金を集めることから始めた。ヒマラヤ遠征の資金集めで、多少経験もあったからね。でもそうなるとみんな親切で、けっこう協力してもらえた。
ロータリークラブってあるでしょう。財界の人なんかが集まってる。そこで話をしろってことになって、沖縄はこの分野では遅れてるって悪口を言ったら、かえって評判が良くてね。東京から来た人が沖縄のためにがんばってくれてるって。
聞き取り、構成:鹿野勝彦(全国山の日協議会 評議員)
(2022年11月21日 雨宮さんの自宅にて聞き取り)
写真提供:比嘉正之さん
(あまみや たかし)
1936(昭和11)年生まれ。
1960年代日本での積雪期岩壁登山、そして1970年代にヒマラヤの山々でバリエーションルートからの登攀を競った「鉄の時代」とともに生きてきた登山界のレジェンドの一人です。
2年前までの12年間沖縄に住み、沖縄県山岳・スポーツクライミング連盟の会長を務めていました。
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