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山の日レポート

山の日レポート

通信員レポート

日本の山々に導かれて

2023.02.23

全国山の日協議会

第一回「富士の山、あれこれ」 小野文珖

宗教研究家、本会会員小野文珖さんに、日本の山々にまつわる伝承を、5回にわたり語ってもらいます。
古来より山は、日本人にとって切り離せないもの、と思い起こさせてくれます。

富士山:2023年2月5日_山中湖から撮影(マウントフジトレイルクラブ提供)

山名から

 2月23日が「富士山の日」と聞いて、先日の寒中の雪を冠(かむ)った神々(こうごう)しい姿を思い出した。富士宮本宮の鳥居から見る富士山はさすがに世界不二の霊山である。

 平成25年10月17日、衆議院第一議員会館で、富士山が世界遺産に認定された意義を、祭神「赫夜姫(かぐやひめ)」から講義したあの日から、文化遺産としての富士の山を語り継いできた。

 古代、南方海洋民族が島伝いに北に移動して日本列島に至った。彼等は火を吹く活火山を恐れ、「アソマ」を呼んで畏怖した。九州のクマモト(神の元)の火山は、「アソマ」の音に後に「阿蘇」の字が当てられ、最高峰のスルガの「アソマ」には、「浅間」(あさま、後にせんげんと読み慣わす)の字が、シナノの荒ぶる「アソマ」はそのまま浅間(あさま)山と名がついた。スルガのアソマ山はその後、不死・不二・不尽の別称がつき、平安時代初期に都の貴族が下向して、不二の音から『富士山記』著し、世に広めた。これが通称となって「アソマ」の名が消え、当て字の漢字が神名となって残ったのである。すなわち浅間大神(せんげんおおみかみ)が祭られることになった。浅間大神は女神(めがみ)である。
 「アソマ」は激しい火の神であり、この男神をなだめ鎮(しず)めるため、水の女神が選ばれ山頂に勧請されたのである。前述の『富士山記』には、山頂に天女が二名舞っている目撃談が記されている。

富士宮浅間神社と富士山 (富士山会議大庭さん提供)

龍神の娘

 南方海洋民族にとって水の神とはすなわち龍神である。龍宮城に住む龍王の娘がこの世に出現し、「山の神」になることによって世界が鎮められる。『富士山大縁起』(東泉院版・平安末期)に、水の神でもあり、月の神でもある赫夜姫(かぐやひめ)が富士に昇って浅間の神となったと記されている。日本最古の物語、「竹取物語」は、アジア各地にある「かぐや姫」伝説を受けたものであり、海の神と山の神の契りによって世界に平安がもたらされるという趣旨であろう。

江ノ島と富士山(藤沢市観光協会提供)

天女の舞

 湘南・江ノ島の伝説も興味深い。伝永承二年(1047年)の『江ノ島縁起』には、海底から突然江ノ島が出現し、美しい女神が鎮座した。人々はインドの弁天様と崇めたが、龍神の娘である。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』や南北朝の『太平記』には、この江ノ島の洞窟は海底のトンネルにつながっていて、富士山の氷穴と結ばれているという説をあげる。若き日の北条時政は、この洞窟に籠(こも)って願かけをし、龍神のウロコ三枚を感得し、以後「三ツ鱗」を家紋として執権職に昇り天下を治めた。ある日、富士山と結ばれていることを確かめようと、家臣を洞窟トンネルに派遣したが、神罰を被って探検隊は海底で遭難した。以後、幕府は神の道として封鎖したという。
 仏教の伝記には、江ノ島の弁天と富士浅間の龍女は姉妹で、妹の弁天さんが、洞窟を通って時々、富士の姉に会いに行き、羽衣をひるがえして二人で富士の天空で舞っていたという。平安時代の『富士山記』の目撃談は、案外つじつまが合っているのかもしれない。世界遺産に羽衣伝説の「三保の松原」が加えられたのも、ユネスコの深慮に脱帽するところである。
 

南アルプス市 江原浅間神社(現代神名帳より)

 ところで山梨県側の江原浅間神社には平安時代、11世紀頃の作とされる「木像浅間神像」が格護されている。最古の浅間神像である。写真で見ると、三人の女神が浅間権現を守っている姿である。この三天女で納得する件がある。浅間天女にはもう一人妹がいて、南アルプスの甲州七面山(しちめんざん・標高1982m)に祭られている七面天女がそれであるという仏教伝承である。七面天女も龍神で、末法総鎮守(まっぽうそうちんじゅ)として古来から尊崇を集めている「山の神」である。
 三人の龍王の娘は、世界の東端の国、「日の本」を平安にするため、その昔、インドのお釈迦さまに遣わされたという伝説を聞き、富士の山頂で舞っている三人の天女を想像しながら、日本に生まれて良かったとしみじみ思うこの頃である。

七面山より富士山(早川町観光協会提供)

小野文珖さんプロフィール:
群馬県出身。
僧侶・元立正大学助教授。
立正大学大学院博士課程修了。
日蓮宗総本山身延山久遠寺で修行。
山々を歩き回る。
藤岡市天龍寺元住職。
著書に『法華経にきく』『昭和法華人列伝』他。

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