山の日レポート
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【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その10 ~ネパール編(5)~
2022.05.21
ネパールで発生した大地震の実態、特に山村の社会、文化に及ぼした影響や支援の実態について、2016年に調査に入った時の話です。
2015年4月25日、ネパール中部のゴルカ付近を震源とするマグニチュード(М)7.8(8.1という説もある)の地震が、また5月12日には東部のドラカ付近を震源とするМ7.2の最大規模の余震が発生した。ネパール政府の発表では、この2回の地震による死者は約9000人、負傷者は約22000人で、家屋の全半壊がおよそ90万戸に及んだという。
当然のことながら震災の直後から、日本を含む国際社会から、多くの支援が寄せられた。
この震災での被害やそれに対する支援については、日本でも大きく報じられたから、記憶している方も多いだろう。ただ私の知る限り、報道のほとんどはカトマンズをはじめとする首都圏と、チョモランマ(エヴェレスト)やランタン谷の周辺など、外国からの登山隊やトゥーリストが集中する地域に関するものだった。
今回掲載している震災直後の写真は、当時クンブ地方に滞在していた古川不可知さん(現九州大学)が撮影したものを提供していただきました。
たしかに2度の大地震はカトマンズをはさむ形で起きたので、そこでの被害が甚大だったのは事実だが、ネパール国民の多くは、今も山地の村落部に住む農民である。そういった地域の住民の被害、そこへの支援の実態などはどうなのだろう。そんな問題意識から、ネパールの社会や文化を主な対象としてきた研究者のグループが、それぞれのフィールドに調査に入ることになり、私も加わることになった。実際に出かけたのは2016年からの3年間、毎回2ないし3週間ほどで、その前にネパールを訪れたのが1996年だったから、20年ぶりの訪問となった。
ネパールでは近年、道路、通信などのインフラがかなり整備されたといっても、村落部に入れば、調査の基本はまず歩くこと、そして村人からじかに話を聞くことである。かつてのように体力任せというわけにゆかないのはわかっていたが、村までたどりつけばなじみの人たちが「こんなときによく来たな」と迎えてくれるだろうし、被害や支援のあり方についてもざっくばらんに話してくれるはずだ、それだけを頼りに出かけた。
2016年に向かったのはソルのサレリ近くの村で、1987年の定期市の調査以来である。当時はカトマンズから東にバスで5時間ほど行った後、4日歩いたのだが、今回は滞在が短いこともあって車をチャーターし、国際援助でできた南回りの道路をゆくことにする。「ふつうなら8時間くらいあれば着くはずだけれど、地震で道路のあちこちが崩落し、今はその修復工事中だから、バスなら途中で一泊、チャーターした車でも12時間くらいかかるかな」といわれた。
このとき使用した地図は、ネパール政府が1990年代はじめから発行し始めた、全土を統一規格でカバーする多色刷りの5万分の1の地形図で、シートの大きさもてごろだから、現場でも使いやすそうだ。等高線の間隔は「ネパールヒマラヤ」プロジェクトのそれが40メートルだったのに対し、20メートルと日本のものと同じで、21世紀に入って建設された道路等の情報はまだ入っていないが、集落の地名や植生の記載が詳しく、地震による被害の状況も、地図と照らし合わせれば多少は読み取れるかもしれない。
この地図はどこでも手に入るというわけではないが、カトマンズ市内に政府直営の販売所があって、そこに行けば誰でも買えるし、値段がそれほど高くないのもありがたい。ちなみにこの地図作成のプロジェクトは、フィンランド政府が支援しているのだが、こういった地味でも国にとって絶対に必要な基礎情報を整備する開発支援のありかたに、支援国としてのフィンランドの見識が見えるような気がする。 (つづく)
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