山の日レポート
山の日インタビュー
私はまたきっと彼らに会いにいくだろう
2022.02.18
【山の日インタビュー】 この人に聞く「山」の魅力-その2
私はまたきっと彼らに会いにいくだろう
美容師・植村直己冒険賞受賞者の稲葉 香さんにお話をお聞きしました。
*今回、「西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く」という本が刊行になりました。これまでも、稲葉さんの文章を読ませてもらったり、講演会でお話を聞く機会はありましたが、改めて「本」という形になった思いを読むことは新鮮でした。稲葉さんにとっては初の本になりますか? 写真も豊富に使われていますが、刊行にいたるまでのことや、どんなことを伝えたかったかを教えてください。
はい、今回の本には「ムスタン、ドルポ、フムラへの旅」という副題もつけましたが、私がこの地域に憧れた理由は、ガイドブックもない世界で、伝統文化や大地に根差した暮らしがある素晴らしい地域だからです。
幼い子供たちの姿を見ていても、ただ可愛いだけではなく、本当にたくましく生きています。女性の人たちの内側からわき出る美しさにも圧倒されます。私が仕事として美容師をしているせいもあるかも知れませんが。
美容師の先生が出版社の方を紹介してくれたことが、この本の刊行のきっかけでした。当初の企画ではガイドブック的な要素を期待されていたのですが、担当の編集者の人が、東京で開いた私の講演会に来てくれて、そこで見た写真を絶賛してくれたんですね。それで全体の半分ぐらいのページを写真だけのカラーページで組んでもらえるような構成に大きく変わりました。将来はこの地域の写真集なようなものも刊行できたらと思っています。
*稲葉さんが河口慧海のことを知り、この地を訪れるようになるにあたっては、様々な人との出会いもあったと思います。偶然の出会いや、稲葉さんのエネルギッシュな探求心のなせる結果とも思いますが、改めてそのあたりの経緯を教えてください。
そうですね。本当に色んな方々にお世話になりました。本の「まえがき」にも書きましたが、2007年に西ネパールの第一人者で河口慧海研究プロジェクトの大西保さんとご縁ができたことが大きいです。文化人類学者の高山龍三先生もそうです。皆さんすでに亡くなられてしまいましたが、私の「常に何かを追いかけている、暑苦しい思い」が通じたのか、とても親切に色々とめんどうをみてくれました。
こうした先人の方々の足跡があったからこそ実現できた旅ですし、多くの皆さんから、クラウドファンディングや直接のご支援をいただいたことにも本当に感謝しています。
始めてドルポを知ったのは2000年に公開された映画「キャラバン」の映像でした。でも自分が行くことになるなんて想像もしていませんでした。18歳でリウマチという難病にかかって、痛みとのたたかいのような毎日を過ごしていましたから。
世界をまわってみたいという夢はありましたが、最初は東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカなどを放浪し、最終的にドルポにはまり、ついに越冬生活までしてしまったわけです。
*今回の本の主要なテーマである、ドルポの越冬は本当に大変な苦労もあったかと思います。詳しくは本に書かれていますが、どんなお気持ちで103日間の越冬期間を過ごされたのか、改めてそのあたりを教えてください。
改めて今思うことは、苦労というよりも、ドルポ越冬を決意するのに数年かかったことです。2016年にムスタン&ドルポ横断500kmを歩いた時に、越冬したいという思いが芽生えましたが、すぐには決意ができませんでした。
お金、自分のお店、持病、この3つの壁をすぐに超えられなかった。そして2018年、フムラ遠征から帰国する時に決意と覚悟ができました。単独でキャラバンを組んで、無人地帯2週間を含む1ヶ月、自分の判断で読図して歩き通した。それで自信に繋がり、全てにおいて覚悟が出来たのです。これは、ここでは書ききれないまた暑苦しい思いがありますね(笑)。
自分の興味から出かけたとはいえ、確かに苦労はありました。一番は食糧や燃料のことでしょうか。とにかく「計画しても、つぶれる」。事前にデポしようとしても、現地との連絡もなかなかとれず。出発直前までドタバタでした。
普段は何をするにも計画を立ててしまいがちで、「今日は何しよう」「どんな話を聞きたい」などと考えてしまいます。そうすると「調査」になってしまいますよね。「私はここにいることが、この人たちがマジで好きなんや」という純な気持ちが大切なわけです。「純粋に好きだから入って来た」という。
「調べねば、写真を撮らねば」と焦る気持ちになってしまうこともありましたが、そんな時は、今回1冊だけ持参していた本、デイビッド・スネルグローヴ(イギリスのチベット学者)という人が著した「ヒマラヤ巡礼」という本なのですが、その中に書いてあることを改めて想いました。それは「ゆっくり見て、聞いて、焦るな」といった言葉です。
*植村冒険賞を受賞されたり、こうして本を刊行されたり、講演の機会が増えたりと、以前と比較すると、生活も大きく変わったのではないでしょうか。そうしたなかで、今後はどのような活動を考えていらっしゃるのか教えてください。
こうして本が出たことで気持ちが楽になりました。刊行は出発前に決まっていたんですが、校正の作業が大変でした。「今からやろう」としたタイミングで賞をいただきまして、昨年の春から夏にかけては、たくさんのメディアが取材してくれました。とても慌ただしい日々でしたが、みなさんドルポに関心を持ってくれたのはうれしいことです。
少し落ち着いた今は「山小屋美容室」を開こうと動いています。ドルポスタイルの美容室なんです。「ドルポの生き方をまねしてみよう」という気持ちが根底にありまして、「あるものだけでやっていく」「みんなの力でどうにかする」といった工夫をしながら、楽しく準備している最中です。もちろん、忘れられない体験や感動をくれたドルポの人たちに、また、きっと会いに行きます。
聞き手=久保田賢次(全国山の日協議会 広報担当)
(いなば かおり)
1973年大阪府東大阪市生まれ。千早赤阪村在住。ヒマラヤに通う美容師。東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカなどを旅し、その延長で山とも出会う。18歳でリウマチを発病。同じ病気であつた河口慧海の存在を知り、2007年、西北ネパール登山隊の故・大西保氏の遠征参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。2020年第25回植村直己冒険賞受賞(2021年)。日本ヒマラヤ協会会員、日本山岳文化学会、雲南懇話会会員、日本山岳会会員など。
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