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山の日レポート

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通信員レポート

日本一周!シーサイドウォーク 四国編(後)

2025.06.11

全国山の日協議会

記:鮫川太一さん
前編・中編は下記リンクよりごらんください

⑪【2024/12/01】 08:05~17:00(23㎞)
ほてる オレンジ~道の駅大月~大月弘見はたご

 道の駅大月の女子職員は、はたごの魚料理夕食が美味しいことを云っていたし、部屋は満室であった。夕食のみで宿泊料¥4,500は、24年間の旅で一番安い宿で遍路からするとありがたい宿である。皆が集まる夕食時に遍路人から目的を聞かれて、海岸線を歩いていると答えると、珍しい人と思われ、いろいろ質問されたので、日本一周旅の先々での「珍道中話し」に皆が面白がってくれ、時間があっという間に過ぎた。
話は盛り上がり、“今日はいい宿に泊まれた”と云われ、記念写真を撮った。
 その宿で居合わせたのが、足摺岬手前で話した元気な男性と判り、その後も何日か同じ宿に泊まり、何枚かの写真を撮って戴いたのが安井さんであった。

⑫【2024/12/2】7:25~13:05(16km)
大月弘見はたご~道の駅すくも~とんかつかつ村~354号ホテルあさひ

 宿毛高校をと通り過ぎ、田ノ浦の路上にて大判焼きを焼いていたので買ったら、若者が笑顔で「遍路の方には1個サービスです」とのこと、温かくとても美味しかった。
 宿毛駅近くのとんかつかつ村で昼食をとったが、満員の客席であり、かつ丼とうどんはリーズナブルで格別に美味しく、やはり商売繁盛している店は違うと感心した。

大月弘見のはたごにて

⑬ 【2024/12/2】7:20~17:00(25km)
ホテルあさひ~7号海岸線~愛媛県境~愛南町道の駅みしょう~40番札所観自在寺付近山代屋旅館

 国道56号線ではなく海岸線を歩いて、やっと13日目「藻津」にて愛媛県境(9:30)に入り、道の駅みしょうの正面の華山レストランで夕食を取る。
 素泊まり旅館に着くと、77歳のご主人は一人で忙しく切り盛りをし、急に10人程泊まるとのことで、風呂の順番に気を使っていた。主人が「これ、いい書でしょ」と云った。良寛の書を見せてくれたので、手帳に書き留めた。
「楽な道を苦しみながら歩いている人は到達できない。永い道を楽しみながら歩いている人は遠くても到達できる。」私のことを云われているようだ。
 私の部屋に入ると、相田みつを の〈出逢い〉いつどこで だれとだれが どんな出逢いをするのか それが大事なんだ。
この日の宿で安井さんと再会、隣の部屋なので、親しくなった。

⑭ 【2024/12/4】6:25~17:00(28km)晴れ 
山代屋旅館~菊川~大場の鼻トンネル~津島大橋手前Lawson~ホテルアイリン

 朝食の為華山レストランに行くと、朝早くから営業していた。4人の男性が近くのホテルから来ていたので、遍路のことを尋ねると、彼らは車で「逆回り」で一週間巡礼しているとのことだった。女主人は山の好きな方で、ジャズも好き、更に油絵で佐田多岬の灯台を描くなど多才だ。
 鳥越トンネル手前からの由良半島はショートカット。ホテルアイリンは素泊まりなので翌日朝食分をコンビニで購入。ラーメン屋「八戒」さんで夕食にする。

⑮ 【2024/12/5】7:20~17:30(12km)晴れ 
ホテルアイリン~松尾トンネル~祝森~宇和島駅~スーパーホテル~宇和島城~回転寿司~スーパーホテル

 早朝に松尾トンネル手前でFMラジオの音量を上げて歩いていたら、またまた安井さんと会い、「この曲、ラフマニノフでしょ」と云うので、「そうだ」と答え、二人の記念写真を撮った。彼は遍路道(山道)を行くので別れた。これまで私が先に歩いているが、いつも挨拶して追い越されるのである(笑)
 宇和島駅に着いたら、年配外国人男性から声をかけられた。今まで何度か宿で一緒だったらしく、彼は私を覚えていたようだ。彼はアラスカに住んでいて、オーロラ観賞で訪れる日本人と会話することで片言の日本語を覚えたようである。
 ホテルにザックを置き、時間もあったので、日本100名城の宇和島城の天守閣に登り、景色の美しい海を眺めた。下りは痛めた左足をかばい、ゆっくり石段を降りた。
 夕食は、回転寿司に寄ってからホテルに着き、夜は天然温泉にゆっくり入り、疲れを癒した。

⑯ 【2024/12/6】9:10~17:30(21km)晴れ
スーパーホテル~国道56号線伊予吉田駅~白浦トンネル(1~5)~法華津トンネル~卯之町駅~富士廼家旅館

 徳の森レストランで昼食を済ませ、長い白浦トンネルと法華津トンネルを過ぎて、仰の町駅手前のファミレスで夕食を取り、駅前の富士廼家旅館に着いた。
 宿について驚いたことに、また安井さんが泊まっていた。その時云われたことは、前日スーパーホテルの天然温泉に入っていて、私に似ている人がいるなぁーと思ったそうで、時間帯も同じであった。そうするとお互いに四日間も同じ宿に泊まったことになる。
 安井さんは、その日41番札所龍光寺と42番仏木寺を巡ったようで、翌日は大洲に向かい、鉄道で松山、岡山経由東京に帰るとのことであった。私は八幡浜から佐田岬に行く予定であり、最後の夜、話しに華が咲いた。
 彼は、ジャズ・絵画鑑賞などの趣味をもっていて、私は映画やクラシック音楽が趣味なので、まず初めに中村を舞台にした「祭りの準備」の話になり、50年前に観た映画を池袋駅東口に遭った文芸座(現新文芸座)を同じ映画館で見たと云うので、お互いにびっくり。
 クラシック音楽の話も次から次へと盛り上がり、さらに私は一時期足繁く登った飯豊山の話をしたら、「山の名前は知ってますよ!会津生まれですから」と云われたので、私はいわきです。同一県人だと分かって、これまた話が盛り上がった。
 安井さんは、春3月22日から四国遍路をし、4回目で完結する予定と云っていた。

⑰ 【2024/12/7】8:20~16:30(21km)晴れのち曇り
卯之町富士廼家旅館~笠置トンネル~双岩~五反田~愛宕トンネル~保内町ビジネスホテル

 八幡浜市の夫婦岩公園では、紅葉も見られた。そういえば八幡浜にはつらい思い出がある。音楽・芝居などで25年間も良く語りあった生涯の友が、1998年10月4日、奥穂高岳(3190m)からジャンダルム手前のナイフエッジに切れた馬の背で滑落死(満47歳)、数年して彼の母が居る八幡浜の実家に行き焼香したのであった。その日は保内町のビジネスホテルに泊まった。

安井さんと

⑱ 【2024/12/8】7:00~18:49(34km)小雨のち曇り、晴れ
保内町ビジネスホテル ヤマキ~大峠トンネル~伊方町役場~九町トンネル~伊方きらら館~塩成トンネル~大久トンネル~三崎港えびすや旅館

 朝食はコンビニで買ったおにぎり・パンで済ませ、国道197号を西へ進むと左に太平洋に繋がる宇和海、右に瀬戸内海を見ながら佐田岬までは40km。長丁場のウォークなので、塩成第一トンネル付近で昼食をとる。15以上のトンネルがあるため、夜歩くことに特に苦労した。三崎港のえびすや旅館には夜遅く着いた。
 宿の中に入って驚いたのは、全体がレトロな雰囲気に中に佇む英国タンノイ製の最高級スピーカー。なぜかと云うと、私は最下位のコンパクトなものを仕事に就いてまもなくのころ(48年前)に手に入れていたからである。

⑲ 【2024/12/9】10:00~17:09(24km)晴れのち曇り
三崎港えびすや旅館~佐田岬灯台~佐田岬漁港民宿大岩

 朝起床し、朝食をしていたら、ベートーヴェンの交響曲第6番の田園が流れていた。御主人(76歳)と話す機会を得て、2時間も音楽談義を楽しんだ。あっという間に時が過ぎ、その日の歩く予定まで忘れて聞き入っていた。これも心に残る想い出となった。
 お礼を云い、佐田岬灯台を目指して急ぎ、灯台に到着したのは2時を過ぎていて、佐田岬展望台にて、スリランカから松山に来て仕事をしている若い女性達の一人に四国旅で初めて、私のスマホで写真を撮ってもらった。
 256号線沿いにしばらく歩いて6階建ての民宿に着いたのは5時を過ぎていた。豪華な魚料理に舌鼓を打った。

⑳ 【2024/12/10】7:40~19:55(33km)晴れ
民宿大岩~三崎港~三崎トンネル~名取トンネル~大久保トンネル~瀬戸トンネル~亀ケ池温泉

 この日は、四国の旅で一番の長丁場ウォークでヨレヨレとなりやっと宿に到着した辛い1日であった。
 宿はゆっくり目に出発し、三崎港を通り過ぎていたら、2日前に泊まったえびすや旅館の女将さんに偶然会った。色々長く音楽談義でお世話になったことにお礼を云ったら、”父も本当に話合えて楽しかったと云ってましたよ”と話してくれた。三崎港近くのコンビニで昼食分の食料を買い出しして、暫く歩き、瀬戸トンネルに着いた時、辺りはすっかり暗くなり、やっとの思いで伊方町二見にある亀ケ池温泉に到着したのは8時近く。夕食(とんかつ定食)を済ませたら、即着替えして温泉に飛び込んだ。残り20分しかなく、急いで体と頭を洗うのみであった。9時に営業終了の5分前には職員たちが後片付けの準備に追われていた。ギリギリに到着したのがまずかった。
 やはり旅の宿では、早く着いて、早く出発するのがベストだとしみじみ反省した次第である。

三崎港えびすや旅館に佇む音響設備に驚いた

㉑ 【2024/12/11】8:34~15:00 6hr(15km)晴れ
亀ケ池温泉~伊方きらら館~丸岡トンネル~伊方町みかん専門店~大峠トンネル~ファミレス~コンビニ~ビジネスホテル ヤマキ

 伊方きらら館に着き、休んでいたら、二見の民宿を営んでいる道元さんが車を停車し、所有しているみかん狩り農園に行くので、八幡浜まで乗ったらと云われたけれど、自力で松山まで歩くつもりと丁重にお断りした。大洲を通らないで、海岸線が坂も少なく歩き易いとアドバイスしてくれた。
 伊方町河内のみかん専門店にて5kgのみかんを自宅に送り、ファミレスで昼食をとり、コンビニでは12日の昼食と夕食の食料を買い、4日前に泊まったビジネスホテルに到着した。

㉒ 【2024/12/12】7.5hr(19.5km)晴れ
ビジネスホテル ヤマキ~ファミレス~瞽女(ゴゼ)トンネル~磯崎トンネル~出海(イズミ)~須沢~伊予長浜民宿漁亭

 国道378号線の海岸線は食堂が無く、弁当で済ませた。広々とした瀬戸内海が輝いていて新長浜大橋を渡り、予讃線(JR)伊予長浜駅を過ぎて漁亭に泊まる。

㉓ 【2024/12/13】7:10~16:30 (26.8km)曇り
長浜民宿漁亭~北なだ駅~下なだ駅~道の駅ふたみ~三秋~ホテルAZ愛媛伊予店

 早朝出発し、1時間程で長浜町今坊で休息をとり、写真を撮った。道の駅ふたみで海を見ながら、昼食をとった。
 国道378号線は、予讃線とほぼ平行に北へ進み、遠くから10階建てのホテルが大きく見え、AZ愛媛伊予店に到着する。松山空港まで11㎞地点に着いたのでホッとして、生ビールを飲みぐっすりと寝入った。

休憩した長浜町今坊

㉔ 【2024/12/14】7:25~10:50(11.3km)晴れ
ホテルAZ愛媛伊予店~伊予署前~松山空港(⇒松山公園~松山城)~松山空港⇒羽田空港⇒四谷駅前主婦会館⇒日立自宅

 ホテルの食事はとても美味しく、とりわけ明太子が食べ放題で、食欲をそそられた。
 伊予市役所から伊予署前を過ぎて、伊予松山港線を北上し松山空港には10時50分到着。先ずは遍路更衣室にて着替えをして、パッキングしたザック等の荷物を預け、搭乗手続きを済ませてから、松山公園までタクシーで移動し、100名城の松山城から見る瀬戸内海の景色は美しく、賑わっていた。三越バス停からバスで松山空港に戻った。2時20分松本空港を離陸、羽田空港4時10分に到着した。その後四ツ谷駅前の主婦会館にてヒマラヤ協会の忘年会に久し振りに参加し、会員に日本一周完歩の報告をし、2時間楽しく話し合い散会した。東京駅から高速バスで日立の自宅に25日ぶりに帰った。

《四国 高知~松山の旅を終えて》

PDF:四国 高知~松山の旅を終えて


次回からは・・・

 さて次回からは日本一周のシーサイドウォークの切っ掛けになったの冬に三島~東京~日立の自宅10日間、300㎞、翌年の冬に佐渡一周~新潟~日立(12/21~1/5)16日間530㎞を中心にいくつかの歩く旅を加え投稿します。

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