山の日レポート
山の日インタビュー
連載⑧ 東奔西走 ダルマ・ラマ 富山からネパールと日本、世界をつなぐ
2023.12.16
鹿野 「株式会社葉っぴーFarmとして、ネパールでも農業を展開するということだけど、具体的にはなにをしているんですか」
ダルマ 「いまはネパールでエゴマを作って、輸入しています。計画自体は5~6年前にスタートしました。富山にはもともと製薬会社が多いでしょう。エゴマは、最近は健康食品の材料として人気がでてきた。ただ、日本ではあんまり作っていないので、量的にも充分に確保することがむつかしいし、コスト面でも問題がある。で、県が補助金を出して、ネパールに生産組合を作って、そこで生産したものをカトマンズに運び、葉っぴーFarmの現地法人が買い取って輸入し、製薬会社に納入するという仕組みです」
鹿野 「なるほど、現地に生産組合ね。それはダルマさんの出身地ですか」
ダルマ 「はい。最初はリサンク村から始めたけれど、今はとなりの、カブレパランチョク郡にも広がって、5つの村に組合があって、参加してる農家の数は200戸を超えています」
鹿野 「その地域では、もともとエゴマを作ってたんですか」
ダルマ 「畑の畔なんかで多少は作ってたけど、量はたいしたことはなかった。自分の家で食べるだけで、商品になるなんて、まったく考えていなかった」
鹿野 「それはそうでしょうね」
ダルマ 「だから最初は、みんな半信半疑だったと思います。でもリサンクの親戚や友達の農家なんかが生産したら、けっこうお金になるらしいっていうのが周囲にも伝わって、だんだん広がった。いま栽培面積は全部で100ヘクタールくらいです。
収穫は11月くらいで、それを乾燥して翌年の3月くらいにカトマンズに運び、うちの会社が引き取って、日本への輸出の手続きをする」
鹿野 「生産地は、もともとはどんな条件の場所だったんですか」
ダルマ 「いまエゴマを作ってる畑は、ほとんどが標高1500メートルを超える傾斜地で、あんまり生産性の高い土地ではなかったと思います。農薬や化学肥料なんかも使っていなかったから、それが幸いして、JASやEUの有機栽培の認証も取れた。
製品化する会社にとっては、その製品を、日本国内だけじゃなく国外に輸出することもあるわけだから、そういった認証が取れたことの意味はけっこう大きいみたいです」
鹿野 「年間の生産量はどれくらいになるんですか」
ダルマ 「最初にはじめた年は0.5トンくらいだったかな。いまは約20トンです。将来的には40トンが目標ですけど」
鹿野 「参加してる農家にとって、エゴマ栽培はどんな意味があるのかしら」
ダルマ 「もちろん経済的には現金収入が増えて生活が豊かになったことが、一番大きい。もともとネパールでは、農業は自分が食べるものを作ることだったけれど、やはり最近は生活が大きく変わって、お金が必要になった。
でも、売れるものを作るにはどうすればいいか、作れたとしても、どこで売れば いいか、そういうアイディアは、個々の農家ではすぐには出てこない。
だから農業をやめてしまう人が増えてきた。村に住んでいても、農業以外の仕事はほとんどないし、カトマンズに行っても、いい働き口は少ない。で、国外に出稼ぎに行く人がどんどん増えています。
まあ、インドに出稼ぎに行くのは、ネパールの農村では昔から伝統みたいなものでしたけど、最近は日本やガルフにも多くの人が行く。場合によっては、無理をして渡航費なんかの借金をしてでも。
以前は農地が限られていて、あとを継げない人がしかたなく出稼ぎに行ってたわけだけど、最近は土地があっても、それをほったらかしにして、行くようになりつつある。
でも生産組合に入ってエゴマを作れば、そういう問題が多少は解決するわけですね。その収入で子供たちの教育費も捻出できるようになる。
それに作ったエゴマが、日本に輸出されるってことになれば、農家としてのプライドにもつながるわけですね。そういう意味も小さくないと思います」
鹿野 「そうか。日本でも、私が生まれた20世紀の前半には、就業者の半分以上は1次産業、その大部分は農業の従事者だったわけだけれど、第2次大戦後、特に1950年代後半の高度経済成長期以降の短期間に一挙に産業構造が変わり、それにともなって就業構造も変わって、20世紀の終わりには、1次産業の従事者は5%以下になった。
ネパールでも、農業離れやそれにともなって農村離れも進んでいるけれど、ただ当時の日本と違って、ネパールでは2次産業、3次産業での雇用が少ないから・・・」
ダルマ 「ネパールでも昔どおりの農業や農村、農家のありかたでいいとは思いません。でも、農業って面白いし、やりがいのある仕事だって、私は日本に来てから、っていうか、ファームにかかわるようになってから、思うようになりました。食物って人間の生活の一番の基本で、それを作るのが農業ですよね。だからネパールでも、やりがいのある農業を定着させたいって思うようになったんです」
(次回は1月1日掲載)
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