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山の日レポート

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自然がライフワーク

【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その12 ~ネパール編(7)~チョウの採集余話

2022.06.11

全国山の日協議会

1)登山と学術調査

 私が山へ行くようになったきっかけは「チョウの採集」と、このシリーズの初めに記したが、高校で山岳部に入ってからは、チョウを採集をするような余裕はなくなり、しばらく中断していた。
 それを復活したのは、1965年に参加した東大の第2次カラコルム登山隊の活動の一環としての「学術調査」のためである。なにをおおげさな、といわれそうだが、それには当時の事情が絡んでいた。

カラコルム地域の概念図 (編者作成)

2)当時の外貨持ち出し枠

 日本で外国旅行が自由化されたのは1964年のことだが、その際に一人が持ち出せる外貨は500米ドルまでだった。それは当時のレートで18万円にあたるから、それなりに大金だが、数か月に及ぶ登山隊の場合、もちろんそれだけでは不足する。日本円の持ち出しにも制限があったし、そもそも円はまだ国際的には通用しない通貨だった。
 従って、別途外貨購入の申請を要するが、その場合もスポーツ関係では種目ごとの制限枠もあって、登山に割り当てられたその枠はきわめて限られていた。そこで、東大の遠征隊なら学術調査枠から外貨申請ができるだろうということで、「学術調査」が掲げられたのだ。

3)学術調査「チョウの採集」

 「学術調査」といっても隊が実際にしたことは、現地での気象観測、隊員の生理学的なデータの収集、氷河の水や植物、昆虫の採集など、要するにОBの専門家に指示されたデータや標本を採ってくるというレベルでしかなかった。
 私の場合も鱗翅目(チョウやガ)の専門家である春田敏郎さんの指示のもと、ともかくも若干の採集品を持ってかえり、そのまま春田さんに手渡しただけだ。このときは、もともとキャラバンの日数が短いうえ、通過地の環境はほぼ砂漠だから、採集した数も種類もごく限られていた。

「カンチェンジュンガ」からの帰路のキャラバン(1984年)

PDF:PICT0029


4)ヒマラヤでの「チョウの採集」

 以後、ヒマラヤへ行くときには、春田さんから、子供時代は高価で手が出なかった高級な採集用具が一式届くようになった。指示されたのは、眼についたものはなんでも採集せよ(以前某氏に採集を頼んだら、大型のアゲハやタテハばかりで、小型で目立たないシジミやセセリは全く入っていなかったのだとか)、採集日と採集地は必ず記録せよ、の2点で、別にむつかしいことではない。
 ちなみに1980年代末まで、南アジアの国々では、昆虫採集自体にも、また採集品の持ち出しにも制限はなかったし、またその日本への持ちこみが問題になることもなかった。
 それが1990年代になると、ネパールやインドでは採集、持ち出しは非合法となり、ある日本人がインドのダージリンでチョウを採集して逮捕、収監されたということを聞いて、まいったなと思ったものだ。

「カンチェンジュンガ」からの帰路のキャラバン(1984年)春田さんからの捕虫網を背に

PDF:PICT0026


 採集自体は主に帰路のキャラバン中に行うのだが、採集品はその日の夕方、三角紙にフェルトペンで採集した日付と時間(AM、PМ)を書き込み、防虫剤を入れたクッキーの空缶に放り込む。帰国後も、キャラバンの日程、出発地、到着地と通過地点のおおむねの標高を地図に従って記入した表を添えて引き渡すだけで、標本の作製や整理、分類などには全くタッチしていない。

「パルナシウス属」ナムチェ にて採集 (学名 Parnassius acdestic horikatsuhikoi Shinkai)

「パルナシウス属」ゴーキョにて採取  (学名 Parnassius simo kanoi subsp. nov.)

 ネパールでの採集が楽しいのは、標高の低いところでは、子供のころ家にあった(台湾が日本統治下にあったころに出版された)日本産蝶類図鑑で見た、台湾産のキシタアゲハやツマベニチョウのような色鮮やかな亜熱帯性の種から、北海道の限られた山地にしかいないウスバキチョウやアサヒヒョウモンに似た種まで、多様な生態系のもとに生息するチョウを、数日の間に見られることだ。
 植物に詳しくない私でも、チョウを見ていれば、生態系の推移が身近に感じられた。

前述の蝶は、1973年ナムチェ及びゴーキョ(黄色✕印付近)で採集

 採集品の大部分は、ありふれたものだったのだろうが、それでも春田さんからは折にふれて、君がこのあいだ採ってきたテングアゲハはネパールの東部では最初の採集例だとか、ブータンミドリシジミは世界で6例目だとかいう話を聞いた。ネットで容易に情報検索ができる今と異なり、世界初ならともかく、6例目なんてどうやって調べるのか、大変な労力を要したはずだが、悪い気はしなかった。
 標本の一部はさらに特定の科に属するチョウを専門に扱うひとの手に渡ったようで、あるアポロチョウやベニシジミが新亜種として登録されたという知らせを受けたのは、採集した時点から30年ほどたってからのことである。学術調査を掲げたことの居心地の悪さが、幾分か解消されたような気がした。
                          ネパール編「 完 」

参考文献
 5頭の蝶の写真及び採取地の図は、
 日本鱗翅学会誌「蝶と蛾」第49巻3号(1998.6.30)「春田コレクションのネパール産パルナシウス属の若干の蝶類(尾本恵一・川崎祐一)」より転載

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