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山の日レポート

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自然がライフワーク

【連載】地図(地形図)についての雑記帳その9~ネパール編(4)

2022.05.11

全国山の日協議会

~ネパール山地での定期市の調査~

 今回は、1987年ネパール東北部の高地、ソル・クンブ地方の調査に訪れた際の話です。

 調査の主なテーマは、この地域の定期市の分布と役割を明らかにすることであった。定期市は、日本でも四日市とか八日市とかの地名が今でも残っているが、南アジアでは一般に週の定まった曜日に開かれ、インドではかなり昔から存在していたようだが、ネパール東部の山地で定期市が成立したのはせいぜい1960年代の初め以降で、新しいものでは1980年代に入ってから開かれるようになったところもある。その多くは村はずれの広場などで開かれ、特別な施設もないから、その存在は地図からは読み取れない。

休憩中の定期市を巡回する行商人たち

1)定期市の調査を始める

 シェルパが主に住んでいるネパール東北部の高地は、一般にはソル・クンブ地方と呼ばれている。そのなかでもソルは相対的には標高の低い(といっても標高約1800メートル以上の)南西部一帯で、そこでは標高およそ2500メートルあたりから上にはシェルパが、それ以下にはライ、タマンといった諸民族が住んでいるが、そこでは、農作物としてはジャガイモが主であるクンブやロールワリンに比べて、気候が温暖でコムギやトウモロコシ、さらにはさまざまな野菜類など、いろいろな作物が栽培できるから、生活全般における農業の比重が高い。また近年はソルのほぼ中心に位置するサレリが一帯の行政の中心の町として発展し、かなりの人数の公務員が首都圏から赴任してくるようになっていた。
 私がサレリに滞在したのは1987年の夏から秋にかけてで、このころには「ネパールヒマラヤ調査」プロジェクトが発行した5万分の1の地形図は10枚ほどとなり、東ネパールの山地のほぼ全域をカバーするようになっていた。私が持参したのはそのうちのDudh Kosiである。

「ネパールヒマラヤ調査」プロジェクトが発行した5万分の1の地形図「Dudh Kosi」

2)ナヤバザールにて

 約1週間のキャラバンでサレリに着き、カトマンズに住む友人のシェルパに紹介された町はずれの宿に荷を降ろして、主人のパサンに目的を話し、この地域一帯にある定期市の場所と開かれる曜日について尋ねてみる。「ああ、ハート(ネパール語で定期市を意味し、常設の市ないし商店街であるバザールと区別する)ね。
 一番近いのはナヤバザール(ナヤは新しいという意味で、まぎらわしいが、どうやらもともと小さな商店街のあった場所に定期市が立つようになったらしい)で土曜日、あとは一日で行ける範囲に何か所かあるはずだが、私は行ったことがないから、どこにあるかよく知らない。行商人に聞けば詳しいことがわかると思うよ」との返事だった。

ソル地方 ナヤバザール

 次の土曜日、朝8時過ぎにパサンとともに市が開かれている広場へ出かけた。すでに数百人の売り手が腰を下ろして、買手が来るのを待っている。野菜、果物のような農作物を並べているのは近くから来た農民らしいが、布や衣類、雑貨、紅茶や砂糖、ビスケットなどの加工食品、アルミの食器や洗面器などを売るのは、あちこちのハートを巡る行商人で、昨夜のうちにナヤバザールに着いていたようだ。布商人が集まっている近くには、手回しのミシンを持ちこんだ仕立て職人もいる。市のはずれには肉を売る一角もあって、そこではスイギュウやヤギを昨夜のうちに屠殺、解体したらしい。

買い物をする公務員の親子

PDF:定期市の様子


 買手の多くは周辺に住む農民たちで、10時過ぎには数を増し、冷かし半分で品物を値切ったり、ちょっとした買い物をした後、これも市のはずれに数軒ある茶店に腰を下ろして友人とのおしゃべりに時間を費やす。市は取引ばかりでなく社交の場でもあるのだ。
 だがサレリの役所に勤めている公務員などは、賃金労働者でここに畑などを持っているわけではないから、穀物や野菜などを含む一週間分の食糧、雑貨などのほとんどをここで買い求めるわけで、大きな買い物かご持参で品定めに余念がない。「あの連中が来る前は、買い物なんて年に2,3回近くの町(といっても片道3日くらいかかるのだが)まで行くだけだったし、このあたりで作る野菜や果物が売り物になるなんて、思ってもみなかったよ」とパサンは笑った。

ナムチェの定期市

3)民族によって同じ場所の呼称が異なることがある

 パサンの助けを借りて、行商人の何人かに、どこに住んでいて、商品はどこで仕入れ、どんなスケジュールで複数の市をまわっているのか、尋ねていった。ところがそこで彼らが答えてくれた地名の多くが、地図に見当たらない。これはどういうことだろう。それまでの経験上、地図が間違っているとも思えなかった。

トゥムシェの定期市

 それから2か月ほどの間、私はパサンが助手としてつけてくれた若いシェルパとともに行商人のあとを追って何か所かの定期市を訪ね歩き、実態を調べていった。

ルクラの定期市

 そこでわかったのは、この地域にはそれぞれに異なる言語を話す複数の民族が住んでおり、市場ではおおむね共通語としてのネパール語を使うのだが、地名については、やはり自分の言語であらわすということだ。
 例えば私の作成した付図でNiereとあるのは、Dudh Kosiの地図のTumsheと同じ村だが、ここをNechaと呼ぶ人もいる。
 地図にどの地名を採用するか、基本的には住民の呼称を取るのが無難だろうが、一つの村に複数の民族が住んでいたらどうするか。ネパールのような多民族国家での地図のありかたのむつかしさを、垣間見たような気がした。
 

調査の結果、作成した当時の定期市の分布図。

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