山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その7 ~ネパール編(2)~
2022.04.21
今回は、チョモランマ登山本隊との合流までカトマンズで待機していた際の話です。
本隊が来るまでのしばらくの間、私たち先発メンバーは、カトマンズでゆったりした時間を過ごすことになった。
ある日「フィルムを買いたいんですけど、どこで買うのがいいでしょう」と尋ねると、「ああ、いい店がありますよ」と、植村直己さんが連れていってくれたのがダス・フォト・スタジオである。
コダックのフィルムは当時の私には贅沢品で、「日本で買うよりネパールのほうが安いけれど、うっかりすると古い品を掴まされるから気をつけろ」と、出発前にネパールに滞在経験のある誰かに言われたのだ。
町の中心部から少し離れた瀟洒(しょうしゃ)なビルのダス・フォトで、フィルムを買いながら雑談をしているうちに、私たちがチョモランマ(エヴェレスト)へ行くと知ると、「それならいいものがある」と店主が持ち出してきたのが、大判多色刷りの見事な地図、(Khumbu Himal 5万分の1地形図)である。
カトマンズからクンブに至る青焼きのトレッキングマップは、すでに本屋で手に入れていたのだが、これはちょっと物が違う。「すごい。こんなのが出てるんだ。まるで美術品じゃないか。額に入れて部屋に飾っときたいくらいだ」と言ったら、「あんさんの部屋にはそれを掛けとくような壁なんて、ないやないか」と、東京に来たときは私の部屋を定宿にしていた井上治郎に突っ込まれてしまった。
ただ値段も相当なもので、手持ちの金では足りない。仕方がないのでフィルムを何本か戻して購入した。
「ところで他の書店ではこの地図は見たことがないけど、なんでここにあるのか」と尋ねると、「この地図作成のプロジェクトは今も続いていて、チームの現地連絡先がこのダス・フォトなんだ。うちの本店はダージリンにあって、ヨーロッパの登山家たちとは、昔から付き合いがあるからね」と、店主は誇らしげだ。
宿舎に戻って、あらためて眺める。この地図を作成したのはドイツとオーストリアの共同プロジェクト「ネパールヒマラヤ調査」で、インド測量局による大三角測量のデータを基礎とし、その後に撮影された航空写真で修正した、と記されている。道路や集落の位置、地名や植生などに関する現地調査は1955年から1963年にかけて行われたとあるが、その責任者はエルゥィン・シュナイダー、すなわち「チベットの七年」の著者ハインリヒ・ハラ―とともにヒマラヤ登山のためインドへ来て、第2次大戦開戦と同時にイギリスの捕虜となったのち、収容所を脱走してチベットへ逃れ、そこで終戦までの7年を過ごした、あの伝説の人物である。
ヨーロッパの地図が見事だというのは聞いていたが、実際に手に取ったのは、そのときが初めてだった。それにしても1955年といえば、ドイツ、オーストリアにとっては敗戦からわずか10年後で、標高8000メートルを超える未踏峰の登山といった、ある意味で華やかで、しかし短期間のプロジェクトなら、同じ敗戦国である日本でも同時期にスタートさせているが、ドイツやオーストリアは、こういった地味だが後世まで残る仕事をスタートさせ、長期的なプロジェクトを行っているのだ。
「ネパールヒマラヤ調査」プロジェクトはその後も、1970年代末まで続き、地図がカバーする範囲を広げていっただけでなく、重厚な学術調査報告書も何冊か出版されている。アルプスの国々のヒマラヤにかける想いと誇りをかいまみたように思った。
せっかく入手した地図だが、これをキャラバンや登山の期間に、現場で開いて見たことはない。地図のサイズは縦が約87センチ、横が約121センチと、行動中にひろげて見るには大きすぎるのだ。よってキャラバン中は、キャンプ地に着いてから通ってきた道筋を確認したり、翌日の行程を調べるくらいで、登山を始めてからはベースキャンプに置きっぱなしだった。
(つづく)
次回は、カトマンズ北東「ガウリサンカール山麓のロールワリン谷」の話です。
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