山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地図 (地形図) についての雑記帳 その6 ~ネパール編(1)~
2022.04.11
金沢大学名誉教授 文化人類学 鹿野勝彦(全国山の日協議会 評議員)
前回まで5回にわたり、地形図との出会いから始まり、それを活用しての登山活動、そして地形図をから読み解く「文化人類学」の研究への活用と進んできました。
今回から、ネパールでの登山と調査にともなう地形図の話となります。
初めてネパールに入ったのは1970年2月、日本山岳会エヴェレスト登山隊の先発メンバーとして、カルカッタ(現コルカタ)からカトマンズまで隊荷を運ぶトラックに同乗するのが役割だった。
数台のトラックは車列を組んでネパール国境に向かうと聞いていたのだが、港を出てすぐ渋滞に巻き込まれてバラバラになり、結局2日後に国境の町ラクソールに着くまで他の車を見ることはなかった。
南アジアの国々では、本格的な地形図などは、国防上の理由で簡単には入手できない。このとき持っていたのは西ベンガル州とビハール州のおおざっぱなロードマップだけだった。
車は視界を遮るもののない大平原をひた走る。どこを走るかはドライバー任せだから、現在位置がわからなくとも別に不便はない。それでも自分がどのあたりにいるかくらいは知りたいのだが、まるで見当もつかない。
乾季のこととて田畑に作物の緑は少ないが、ところどころに菜の花畑があって、あざやかな黄色が目を慰めてくれる。
町へ入ると車や自転車、歩行者、さらには牛などで道路はごったがえし、けたたましい警笛が耳をうつ。町の名は看板などから読み取れるのだが、その地名は地図には見当たらない。どうやら地図に載っているような大きな町は混雑を嫌い、あえて避けているらしい。
夜は道路わきのトラックのたまり場である、「ホテル」と名前だけは立派な看板を出した24時間営業の茶店で食事をとり、そのままベンチで毛布にくるまったが、ラジオから流れる大音量の映画音楽がうるさいので、トラックの荷台にはいあがり、荷物の隙間で寝ることにした。思っていたより気温が下がり、あまりよく眠れないまま朝を迎えた。
ネパール国境の町ラクソールでは3日かけて国境通過の手続きをし、荷物をネパールのトラックに積み替えて、ネパール側のビルガンジにはいる。
しばらくすると、北に薄青くかすんだ山並みが見え始めた。カルカッタを出てから初めて見る山だ。夕方になって、道はようやくその山に取り付き、しだいに深い森の中に入ってゆく。夜も更けたころ、「今日はここまで」とドライバーが宣言した。
「自分はこの近くにいつも泊まる家があるが、お前はどうする?」
「ああ、このトラックの荷台で寝るよ」と私
5年前、カラコルムにいったときに、似たようなシチュエーションでナンキンムシに悩まされ、一睡もできなかった記憶がよみがえったのだ。
「そうか。でもダコイト(山賊)に気をつけろよ。この前、襲われたやつがいるからな」とドライバー
冗談半分だろうが、あまりいい気分はしなかった。だが、ラクソールで買い足した毛布のおかげでよく眠ることができた。
翌朝6時ごろにスタートして、10時すぎには峠を越えてカトマンズ―ポカラを結ぶ街道に出た。初めて見るネパールヒマラヤの雪山がまぶしい。
カトマンズに到着したのは昼まえで、遠距離トラックの発着場には、前年の秋の偵察隊に参加し、そのままネパールに残っていた植村直己さんと井上治郎が迎えに出てくれていた。
カルカッタからカトマンズまで、飛行機なら1時間ほどのところを、1週間かけたわけだが、ベンガルの沖積平野を経てタライの丘陵地帯を抜け、標高2000メートルクラスの山々を越えて、標高約1300メートルのカトマンズ盆地に至る多様な生態系と、そこに住む人々の暮らしぶりを眺めながらの旅は、冬のせいもあって思っていたより快適で、普通ではできない貴重な経験をさせてもらったことになる。 (つづく)
次回は、チョモランマ登山本隊が来るまでカトマンズ待機中に見つけた「地形図:Khumbu Himal (5万分の1)」の話です。
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