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山の日レポート

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自然がライフワーク

【連載:西表島と私 1】世界自然遺産に登録される

2022.04.01

全国山の日協議会

世界自然遺産に登録される 

 2021年7月26日、世界遺産委員会において、奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島の世界自然遺産登録が正式に決定した。
 西表島は4つの島の中で、大きさは3番目だが、最も良い状態の森林が残されている島である。これは、大規模な開発が少なかったことや、自動車道路が海岸線に沿って1本作られたのみで、山中を横断する道路がないことも一因である。島のほぼ全域が国立公園に指定されており、これ以上の森林開発はないと考えらえる。

オキナワウラジロガシが優占する沢沿いの森林。ウズラの卵よりさらに大きなドングリ をつける

PDF:1.西表島の位置


私にとって、初めての旅から57年が経っている

 2021年、私は西表島を3度訪ねている。その折々に世界遺産登録に対する島の人たちの気持ちを聞かせてもらう機会があった。まず、登録決定間近の5月と7月には、登録に反対する人の数が賛成の人より多かった。反対の理由は、観光客が増えることで山や海が荒れることへの危惧や、地元の人が山へ入ることや開発が規制されるだろうということだった。賛成者は主に観光関係の仕事に就く人たちで、訪問客が増えるという期待からだった。10月に訪ねた時も、登録決定からあまり経っていないせいか、住民の気持ちに決定前と大きな変化はなかった。関係する役所で、入島者数の制限や入島税の導入が検討されているといった話もあった。

 さて、世界自然遺産登録に対する住人の反応はともかく、私にとって、初めての旅から57年が経っている。西表島が、このように注目される時代が来ることなど、私は想像したことがなかった。

古見岳(こみ岳)山頂からの眺め。標高470m、西表島最高峰。西表島の稜線と山頂は、ふつうリュウキュウチクに覆われている

東海岸

干潮時に広大な干潟となる。石積みは「魚垣」と呼ばれる伝統的な漁法の名残り

東海岸

島の西南部

島の西南部は岩石海岸が連続し、砂浜はほとんどない

島の西南部

連瀑帯

小さな島だが1000を超す滝がある

連瀑帯

八重山を知る

 私が西表島のある八重山諸島を知ったのは小学5年生の時で、ヤエヤマムラサキという蝶からだった。私は蝶に限らず生き物の好きな普通の少年だったように思う。ただ、小さい頃から、「大人になったら動物学者になろう」と心に決めていたほど、生き物に対する関心が強かった。郷里は静岡県の清水市(現静岡市清水区)だが、毎年2月末から11月の末まで、ほとんどの休日、近くの里山へ出かけては虫を追いかけまわしていた。ウサギやイヌもよく飼ったし、メジロとかホオジロやヒバリなどの野鳥も、いつも身近にいる生き物だった。 
 そんな毎日を送っていたある日、私は本屋の店頭で今まで見たこともないような立派な蝶類図鑑をみつけた。それまでのものと違って原色写真を使い説明もかなり詳しいものだった。当時の値段で850円。もちろん小学生の小遣いで買えるような本ではなかったのだが、私は祖母にねだって、手に入れることに成功した。あれから70年近くなるが、その図鑑は今でも本棚に収まっている。

貯木場でのフナ釣り。野外遊びの好きな子供だった(小学3年生の時)。貯木場には戦後いち早く輸入された南洋材(ラワン)が係留されていた

なかでもヤエヤマムラサキには特にひかれた

 その本には、私が見たこともない蝶がたくさん載っており、すべてが憧れの的となった。
 なかでもヤエヤマムラサキには特にひかれた。説明を読むと、日本に一番近い産地は琉球の八重山諸島と書かれていた。「こんな素敵な蝶がいる八重山諸島とはどんな所なのだろう。そこではどんな人達がどんな生活をしているのだろう」。いつしか私は頭の中に八重山諸島を作り上げ、そこで蝶を追っている自分を夢見るようになった。
 ヤエヤマムラサキは、フィリピン、スラウェシ、スンダランド、小スンダ列島に分布するタテハチョウ科の蝶である。品の良いマホガニー色をしており、メスに限って翅に紫色の光沢がある。同属近縁の種はオスのみが紫色の光を放つのだが、本種は逆にメスのみが光るのである。
 ヤエヤマムラサキは、八重山諸島には定着していない。しかし、6月から10月なら西表島や石垣島で確実に見ることが出来る。これは、夏の間、季節風に乗って南方から飛来する個体があることと、その際に産み付けられた卵が秋になって大量に羽化するからである。しかし、12月に入ると幼虫、蛹が低温のため死滅し、越冬することが出来ない。これが毎年繰り返されているわけである。食草はイラクサ科のオオイワガネ(ヌノマオ)である。

 八重山諸島を夢見る小学生だったが、私は琉球がどこにあるのかを知らなかった。琉球が沖縄のことだと知ったのは、ずっと後になってのことだ。当時の沖縄はアメリカの施政権下にあり、我々の世代は高校を出るまで琉球のことをまったく教えられなかった。日本地理は鹿児島に始まり北海道で終わっていたし、世界地理は韓国、台湾から始まった。学校教育の歴史にも地理にも登場しなかった。社会科の教科書に、ほんの数行ではあるが、沖縄(琉球)が紹介されたのは我々の次の世代からである。

ヤエヤマムラサキ(左4頭)。メス(左上)には紫色の光沢がある。 右1頭はリュウキュウムラサキのオス。すべて1960年代後半、八重山諸島で採集・標本作成したもの

著者略歴

安間 繁樹
著者について
1944年中国内蒙古に生まれる。1963年清水東高等学校(静岡県)卒業。1967年早稲田大学法学部卒業。法学士。1970年早稲田大学教育学部理学科(生物専修)卒業。理学士。1979年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。農学博士。哺乳動物生態学専攻。世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。公益法人平岡環境科学研究所監事。日本山岳会会員。市川市民文化ユネスコ賞受賞(2004年)。秩父宮記念山岳賞受賞(2019年)
1960年代、イリオモテヤマネコの生態観察のため西表島に入る。その後、JICA専門家として16年にわたりボルネオ島で生活し、動物調査研究と若手研究者の育成に携わる。西表島とボルネオ島の自然と人々の営みを記録することをライフワークとしている。

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