山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その5~天気図を書く~
2022.04.01
金沢大学名誉教授 文化人類学 鹿野勝彦(全国山の日協議会 評議員)
「来週までに天気図を3枚書いてもってこい」、私が所属していた高校山岳部の、毎週土曜日のミーティングで、先輩からそんな指示があった。今ではラジオの気象通報を聞いて天気図を書き、それに基づいて天気予報をするなど、気象予報士になるための勉強をしている人くらいだろうが、60年ほど前には、それは山登りをしようとすれば必ず身につけるべき基本的な技術のひとつだった。といっても高校に入って半年ほどの私には、それは未知の領域で、家にはテレビもなかったから、ふだん天気図を見るのは、縮小され、記載要素もほとんど省略された新聞の天気予報欄のものくらいだった。さて、天気図用紙はどこで手に入るんだろう。行きつけの書店「茗渓堂」で聞いてみると、「うちではおいてないけれど、三省堂に行けばあると思いますよ」とのことだったので、その足で出かけて購入した。用紙には日本を中心に東南アジアからシベリアまでの陸地の輪郭と緯線、経線が引かれ、そのあちこちに丸印を伴う地名が記されている。
天気図のもとになる情報を伝えるのは、NHKと日本短波放送から1日に数回、約15分間流される気象通報で、私はそのうちのNHKの22時からのものを聞くことにして、その時間になると天気図用紙を前に机に向かうことになった。放送では最初にその日の日本を取り巻く気象の概況を伝えたあと、国内とシベリア、中国、朝鮮半島など数十か所の観測点の、風向、風力、気圧、天候の情報が流される。これは天気図用紙に記された地名を一定の順番でおってゆけばいいわけだから、初日はともかく、3日もたてばだいたい記入できるようになった。問題は次の海上にいる船舶から送られてくるデータで、内容は地上の観測点のそれと同じだが、位置は緯度、経度で示されるから、慣れない間はなかなかついてゆけない。最後は高気圧、低気圧、前線などの位置と進行方向、速度などが伝えられて、放送自体はここで終わる。ちなみに天気予報的な内容は、台風でも来ているときは別として、ほとんどない。
天気図作成の本格的な作業が始まるのはここからだ。まず高気圧、低気圧の位置と気圧をもとに、その周辺から、同じ気圧(当時はヘクトパスカルではなくミリバールという語が使われていた)を示す観測地点をつないで等圧線をひいてゆく。等圧線は、地図の等高線と同じ原理でひかれているので、地形図の読み方を知っていれば考え方自体は理解できるのだが、観測地点そのものがそれほど密に配置されているわけではないから、どうつなげてゆくか、迷ってしまう。なんども線を引き直した挙句の果て、次の日の新聞を見て修正することになり、「すみません。だいぶ汚くなっちゃって」と言いわけしながら提出すると、「あのな、きれいな天気図を書くのが目的じゃないだろう。それよりこれでどういう予報ができるんだ」と一喝されてしまった。
地図に記された地形や記号が示す事物は、少なくとも一定の期間変化することはないが、天気図に示される大気のありかたは、文字通り時々刻々変化する。予報を出すには、その動きの方向や速度を把握したうえで、自分のいる場所にいつごろ到達するかを予測しなければならない。また気象通報で使われる風向、風力、気圧、天候といった情報は、基本的には人の住む平地の観測地点のものだから(たしか富士山頂については気圧以外の情報が伝えられたはずだが)、標高の高い山地にいれば、その補正も必要になる。気温については、標高差1000メートルで約5.5度違うと知っていれば計算はたやすいが、たとえば前線の境界は傾斜しているから、気象通報でつたえられる平地の位置情報より山には早く到達する、それがいつごろになるかを、いわゆる観天望気(目視で天候を見ること)で雲の動きを見たり、風や空気の湿り気などを含め、五感を研ぎ澄ませて推測する、などということになると、大学生になってからも、とうてい自信は持てなかった。
だから素人が一日に一、二度の気象通報で得られる限られた情報をもとに天気図を書いて予報をしてみても、あまり意味はないと言われるかもしれないし、さらに言えば、悪天候になることがわかっていたら、山へ行かないというのも常識かもしれない。
だが高校でも山岳部の合宿は、夏や春のそれは2週間に、大学のでは長いときは1か月近くに及ぶ。その間に、夏であれば台風が来るかもしれないし、冬なら西高東低の気圧配置になって大雪に見舞われるかもしれない。そういったことはもともと想定内なのだ。ただ天候の悪化がなるべく早めに予測できれば、やはり対応もしやすい。
今日は午後から雨が降るという予報が、実際には夜からになったとして、街での生活なら予報が外れたということになるのだが、山にいて大切なのは、これから先、天候が下り坂だという傾向を把握したうえで、それがいつから始まってどれくらい続くか、雨の程度はどれくらいのものになるか、念のために最悪のケースを想定して、対処方法を考えておくことではないか。山にいる間は毎日天気図を書き、それにもとづいて自分なりに天候を考えるのが習慣になったのは、そんな理由からである。(つづく)
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