山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その4~地図から人の暮らしを読み解く~
2022.03.21
金沢大学名誉教授 文化人類学 鹿野勝彦(全国山の日協議会 評議員)
金沢大学では文学部の文化人類学研究室に所属していた。文化人類学の目的は異文化のありかたを理解することだが、そのための情報は、基本的にはフィールドワークで入手する。よってそれを学ぶ学生に課すのは、まずフィールドワークの技法を身につけることである。
フィールドワークは文字通り現場での作業で、文化人類学の場合、現場で観察と聞き取りを行って情報を集めるわけだが、その準備段階では、可能な限りさまざまな文献や資料に目を通し、調査地域の情報を頭に入れておくことが欠かせない。研究室で行うフィールドワークは、学生がその初心者であることを前提に、比較的身近な石川県内にある農村、漁村、山村などで、適当な規模を持つ集落を対象としていたが、そこで事前に収集する情報源としてもっとも基本的なものは、人口をはじめとするセンサスのような統計資料と地図であり、その地図は、具体的には国土地理院発行の2万5千分の1の地形図を使った。山へ行く場合と異なって、こういった調査ではカバーするエリアはそれほど広いわけではないから、情報がより詳細に記載されている2万5千分の1のほうが、5万分の1より使い勝手が良い。
調査においては、対象となる集落に住んでいる方々への聞き取りが中心となる手法なのだが、私はその前に、学生たちと地図を手に集落とその周辺を見て回ることにしていた。まず集落の近くの適当なところで車を止め、集落とその周辺をゆっくり歩きながら、そこにどんな施設があり、どんな状況であるかを確認してゆく。具体的には、集落を囲む環境はどんなものであり、山林や田畑の状況はどうであるか、集落の戸数はどれくらいで、公共施設や商店などはなにがどこにあるかといったことを、地図と照らし合わせながら見てゆく。
学生たちは、基本的な地図の読み取り方はもちろん知っているが、日常生活で地図を使うことはあまりないから、最初は戸惑っているが、しばらく歩いているうちにいろいろなことに気づくようになる。その気づきの多くは、地図と実際に見るものとの違い、ずれについてだ。「あそこには学校があるけれど、実際にはもう廃校になっているんですね」とか、「あのあたりは田んぼみたいだけど、もう使われていないみたいで、雑草だらけになってます」といったことである。
地図はそう頻繁に改訂されるわけではない。山でなら、地形や植生がそうすぐに変わるわけではないから、数十年前に作られた地図でも基本的にはそのまま使えるが、人が住んでいる地域では、状況は年々変わってゆくから、現実と地図とのずれは、しだいに大きくなってゆく。だがそれは、調査を行う場合には、必ずしも具合が悪いことではない。地図が造られた時期から現在まで、なにがどう変わったかを考えるきっかけが得られるからだ。それがのちに、住民の方々から聞き取り調査を行う場合にも生きてくる。「過疎化するといろんな施設が消えていってしまうけど、神社やお寺はまずなくならないんですね」、そんなことに気づいた学生もいた。なるほど、たしかに。「でも、住職や宮司さんがどうなってるかは確かめたほうがいいよ」。私のほうからのアドバイスはそんなところだ。
余談になるが、このホームページにも寄稿している人文地理学が専門の溝口さんに、調査に加わってもらったことがある。彼はこの集落を含む地区の古い電話帳を探してきて、「ここにも昔は開業医がいたらしい。〇〇年の電話帳に載ってますよ」と教えてくれた。古い電話帳なんて紙くず以外の何物でもないと思っていたが、使い方次第では貴重な情報源になる。聞き取り調査での「最近ではマチにゆくバスの便数も減ったし、危ないから車の免許証も返納した。だから調子が悪くなって病院へ行くときは、近くの若いもんに頼んで乗せていってもらうんだが、それもなかなか気兼ねだから、たいがいは我慢してしまうんじゃ」、そんな高齢者の語りの意味は、地図や古い電話帳の情報からも、深められて行く可能性があるのだ。(つづく)
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