山の日レポート
自然がライフワーク
【連載】地図(地形図)についての雑記帳 その1~地図との出会い~
2022.02.03
私の書棚の隅には、たくさんの地図が積み重なっている。その大半はいわゆる中縮尺(2万5千分の1から5万分の1)の地形図で、もっとも古いものは小学生のとき、つまり60年以上前に入手した東京近郊の5万分の1の地形図、最近のものでは、2015年のネパールの震災とその復興過程の調査に行った際にカトマンズで入手した、やはり5万分の1の地形図がある。
持っていて役に立つわけでもないし、スマートフォンさえあれば、世界中あらゆるところの詳細な地図がタッチ一つで画面に浮かび上がり、現在位置の正確な情報も教えてくれる今では、紙の地図の役割は終わったようなものだという人もいるが、私には日本国内やアジア、ヨーロッパ各地で登山やフィールドワークの旅に持ち歩き、その思い出が詰まった地図を処分する気にはなれない。これから記すのは、そんな地図にまつわるごく私的な雑談である。
私が小学生だった1950年代の前半には、昆虫や植物の標本造りは夏休みの宿題の定番だった。それがきっかけでしだいに面白くなり、東京都心の御茶ノ水駅近くに住んでいた私は、初めのうちは千鳥ヶ淵公園や東大本郷キャンパスなどでチョウの採集をするようになったのだが、しだいに欲が出てきて、5年生になったころから、都心では採集できないチョウを求めて、高尾山、それも小仏峠から景信山にかけての、いわゆる裏高尾や、青梅線沿線の奥多摩の山などへ一人で出かけるようになった。
そのために必須のアイテムになったのが、地理調査所発行の5万分の1の地形図である。駅前の書店へ行くと、書棚の下の「関東」とか「東海」とかのラベルの付いた引き出しから、必要なものを引っ張り出してくれる。高尾山周辺に行くために買ったのは「八王子」と「上野原」で、定価は1枚25円。お茶ノ水から高尾山の最寄り駅である浅川(現高尾)までの電車賃が、子供料金の往復で100円くらいだったから、小遣いの乏しい私にとってはそれなりに貴重品だった。
地図の欄外には、それを読み解くためのさまざまな説明も記されている。これを理解しておかないと、せっかくの地図を使いこなすことはできない。まず5万分の1とはどういうことか。実際には500メートルの距離が、地図の上で1センチメートルになるということは、小学生でも簡単に理解できるが、地図に記された道は、まっすぐではない。その曲がりくねった道を、コンパスを使って1センチ刻みで測り、A地点からB地点までの距離を出せばいいと思いついたのだが、それを見ていた大学生の叔父が、「でもそこは山道で、傾斜があれば実際の距離は地図上より長くなるんだぞ」と教えてくれた。
「じゃあどうやって測ればいいのさ」、「それは三角関数を使って計算するんだけれど、小学生にはまだ無理だな。それよりそこにひいてある等高線が、なんだかわかってるのかい」、「うん。ある線から次の線まで行くと、20メートル登ったことになるんだよね」、「そう。で、登りでは平地より時間がかかる。普通、標高差で250から300メートルくらい登るのには1時間くらいかかるんだよ。逆に下るときは、その半分くらいで下れる。山では、地図のうえでの距離より、等高線を数えたほうが、かかる時間の見当がつきやすいのさ」。なるほど、そういうものか。
そこで浅川駅から小仏峠を経て景信山までの往路を、等高線を数えながらかかる時間を推測し、復路については多少の余裕を見て登る場合の3分の2くらいとして、あとは休憩や採集のための時間も加えて、おおよその計画を立てた。夕方5時までには必ず戻ってくるというのが、一人で出かけるうえでの母との約束で、そのために午後3時くらいには浅川駅に戻っていなければならない。
ところが母から「ガイドブックにはどう書いてあるの」と言われてしまった。私の計算だけでは信用されなかったわけだ。仕方がないので、また地図を買った書店へ出向き、立ち読みでガイドブックのコースタイムを書きうつした。店主は見て見ぬふりをしてくれたのだが、実はその書店、茗渓堂は、日本山岳会の月報「山」や年報「山岳」の発行所でもあり、店主の坂本さんには後に随分お世話になるのだが、そのころは知る由もない。(つづく)
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