山の日レポート
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【連載:TM山ニュース#6】名古屋の山ノ神
2022.01.24
市域最高地点が東谷山(198m)で、ほとんどが平野・丘陵で占められ、決して山岳地帯ではない名古屋市域に、山ノ神なんてまず存在しないと、誰しも思うであろう。
それが『寛文村々覚書』(1672)で71社も数えられたのである(図11)。
その分布をみると、さすが低湿地の西部には中島新田1カ村にしかなく、ほとんどが東部の丘陵地に存在していた。それゆえに低いとはいえこの東部丘陵地が山の神の社として適していたことになる。
その理由を柳田国男の「先祖の話」 によって説明することにしよう。
それは山ノ神の両義的な性格によるものである。
すなわち、山ノ神は春になると田に降(くだ)って田ノ神となり、秋の終りにはまた田から上って山に還って山ノ神になるという。
それゆえ、田と山の接するところこそ、山ノ神信仰には最適の場であり、名古屋市にあってはまさに東部丘陵がその地であった。
かつて、豊田市藤岡町で2人の男性に山ノ神の祭礼の日をたずねたら、1人は11月、1人は3月という答えが返ってきた。11月と答えた方は山林業者で「山にお帰りになる時期」、もう1人は農民で「山から田においでになる時期」とのことであった。
江戸時代の名古屋市域の図11で、村別にみて、山ノ神がもっとも多かったのが鳴海村(緑区)と、小幡村(守山区)の7社であった。
そこで山ノ神探しに鳴海に出かけてみたら、現在でも山ノ神信仰が息づいていた。住宅街の中にたたずむ醴泉寺では「山ノ神不動尊」の幟がたてられ、所願成就のための加持祈祷もなされているという(写真X)。
柳田国男(1990):先祖の話. 柳田国男全集13, ちくま文庫、p.78.
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