アンバサダー
エッセイ
「山と絵」
2021.12.01
絵を描くのは幼いころから好きだった。周りの大人たちにも褒められたものだから、なおのこと楽しくて仕方がなかった。登山は中学1年のとき、友人たちと奥多摩にある川苔山に行ったのがはじまりだった。
初登山は辛いものだったが、なぜかその年の秋、二度目の大岳山、御前山、さらに三頭山の縦走で目覚めてしまった。少しずつ山行回数が増えていくと、山のノートを書くのが楽しみになった。コースの概要、持ち物、食べ物などの絵や手描き地図などを添えたものだった。
16歳でクライミングをはじめると、岩壁の絵やルート図に夢中になった。こうなるといっぱしに冊子を作ろうと思い立ったが、お金もない高校生のこと、ガリ版刷りでせっせと会報を作ることになった。仲間に原稿依頼をしたりレイアウトを考えたり、山に登るのと同じくらい面白かった。
気が付けばそのまま山が好きで、絵を描くことに夢中な自分がいた。イラストレーターとしてデビューしたのは、まだ学生気分の抜けない24歳のころ。愛読していた「山と渓谷」に持ち込みをしたのがきっかけだった。出迎えてくれた編集者に大量に持ち込んだ絵を見てもらうと、なんと仕事をもらえることになった。それも10ページ以上のイラストだけで構成したものだった。
しかし世の中そんなに甘いものではなく仕事探しに明け暮れ、好きでもない週刊誌の仕事や、怪しそうな出版社に出向いたこともあった。そんなときはいつも山が救いになった。
描く山の世界観もしだいに変化していくようになった。岩ばかり目がいっていたときには気づかなかった、森の山にイメージが膨らむようになっていた。
元々、絵本好きだったこともあり宮沢賢治の心象風景に心惹かれ、賢治の山を歩いたりした。七つ森を探しながら歩いたときはとくに印象深いものだった。それに似た印象の北八ツにも足繁く通うようになった。
山の世界には古くから多くの山の絵描きさんがいた。辻まこと、畦地梅太郎、そして詩人でもある串田孫一など。洒脱な絵と文章はいま見ても素敵だ。遠い存在の先人たちに憧れを持ちながら、いつかあんなふうに描けたらと思い続けた。
30代半ば、仕事でヒマラヤに行くチャンスが巡ってきた。エベレスト街道を辿り、エベレストを望むカラパタール(5545m)を目指すものだった。道中、ずっと絵でまとめるという登山以上に苦労しそうな企画でもあったが、ヒマラヤを目の当たりにすることにすっかり興奮していた。
しかしこのときほど絵を描くことに自信を失ったことはなかったかもしれない。巨大なヒマラヤを前にしたとたん絵が描けなくなったからだ。スケッチブックはいつまでたっても白いまま。ただ静かにじっとヒマラヤの峰を見つめていた。
数日後、なにかヒントのようなものを感じるようになった。見たものを写しとろうとするのではなく、感じとるもの。そんなふうなことをヒマラヤが教えてくれたようで、ぼくの頭をガツンと叩いた。すぐに会得出来るものではなかったが、これはとても大きな経験になった。
2年にいちど、仕事以外に絵を描こうと個展を開いている。うまくいったり、いかなかったり、そんな絵の毎日。この原稿を書いている翌日から、その日がはじまります。
中村みつをさんの個展についてご案内します。
中村みつを個展「月の旅」
●2021年12月1日(水)〜12月12日(日) 月曜日休廊
●12:00〜19:00
●会 場:ギャラリーMalle
●所在地:東京都渋谷区恵比寿4-10-18-2F
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