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アンバサダー

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エッセイ

嗚呼、昭和の山ガールよ

2021.10.01

山の日アンバサダー
作詩家
吉井省一

写真は昭和20年代後半。来年で90歳になる母が白馬に登山した時のものです。ちなみに、右から2番目が母。
山登りが大好きで、お給料が入ると、いそいそと夜行列車に乗って出かけて行ったようです。登山ブームの走りだったようで、通路に新聞を敷いて休むほど登山客で込み合っていたとのこと。
信濃大町駅構内でアイゼンを250円(母の記憶では)で借りて、運動靴にはめて、クレバスに落ちないように大雪渓を登った話を聞いたことがあります。白馬岳頂上近くの山小屋に泊まり、見降ろした日本海、能登半島までの景色は実に見事だったそうです。
今はいささか動きがスローモーになりましたが、当時20歳ちょい過ぎの娘だった母は、さぞかしチャッチャッと登って行ったことでしょう。
ほかにも、山梨の鳳凰三山、草津白根、日光白根など、楽しかった山の思い出がたっぷりある母。丹沢ではわらじをはいて、ザイルをつけ、上から引っ張ってもらって沢登りを楽しんだことも話してくれましたっけ。
私が「山はふるさと」を書くことができたのも、こんな母の山の話を小さい頃から聞いていたからかも知れません。
今でも、山の本や写真集をにこにこしながら眺めている母を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになります。
思い出という名のささやかな恩恵をこんなところまで届けてくれて、山よ、本当にありがとう!

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