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第62回木暮祭レポート
2021.11.17
公益社団法人日本山岳会山梨支部 支部長 北原孝浩さんから届いた、第62回木暮祭のレポートを紹介します。
第62回木暮祭を開催する(10月17日)
前夜から降り続いた雨も止み、この秋一番の冷え込みの中、第62回木暮祭は地元北杜市長上村英司氏、公益社団法人日本山岳会副会長坂井広志氏の他、日本山岳会山梨支部員やその他山岳関係者が多数参加して開催された。
来賓の方々、関係者の挨拶に加え、山梨支部員による演題「木暮理太郎と奥秩父」のミニ講演が行われた。
木暮祭は奥秩父の山々を登山の対象として世に広く紹介した木暮理太郎氏(明治6年~昭和19年、日本山岳会第三代会長)の遺徳を偲んで、毎年10月の第3日曜日に山梨県北杜市須玉町の増冨ラジウム峡の奥、金山の木暮理太郎顕彰碑の前で行われる。
この顕彰碑に埋め込まれた木暮翁の胸像レリーフは、現在の顕彰碑がある場所より奥、標高の高い所の岩に埋め込まれてあったが、昭和34年の台風七号で岩が傾き、付近の崩壊はなはだしく建設当時の美しい原生林は見る影もなくなってしまった。
このため、日本山岳会、石楠花山岳会、霧の旅会、山梨県山岳連盟、日本山岳会山梨支部、増冨ラジウム峡観光協会の六者が木暮碑委員会を立ち上げて再建に着手し、寄付金を集めて現在の場所に新しい顕彰碑を造り、胸像レリーフを再び埋め込んだ。
この碑の除幕式は昭和35年10月8日に行われた。除幕式には当時日本山岳会第九代会長の日高信六郎氏が参加した。
これが第1回の木暮祭で以後毎年10月第3日曜日にこの場所で木暮祭が行われるようになった。
碑の真正面には木暮翁が生涯愛でた金峰山が望まれるが、樹木の枝が伸びて建設時の光景とはいささか相違しているものと思われる。
この碑は2トンの重さがあり、道路も現在のように整備されておらず、当時落合(現リーゼンヒュッテ近くの木賊峠と金山への分岐地点)から先の凡そ2㎞の傾斜のある山道を増富の方々が人力により運び上げた。
碑の裏側には日高信六郎日本山岳会会長による「由緒書き」、および木暮碑委員会による碑の「いわれ」の銅版が埋め込まれている。
木暮碑委員会は当初から半世紀以上経過し、高齢化などの状況から現在は増富ラジウム峡観光協会、山梨県山岳連盟、日本山岳会山梨支部(事務局)で構成し運営されている。
なお、日本山岳会山梨支部では木暮祭にあわせて記念山行を実施している。
ここ数年は木暮理太郎碑の南側の至近距離にある甲斐百山の「五里山」で実施し今年も登った。五里山は金山平からはこんもり穏やかな山容に見えるが、切り立った崖が多く、大きなピークが5つのほか小さな岩峰もありで、山慣れた者には恰好な山である。
(公益社団法人日本山岳会山梨支部 北原孝浩)
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