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山の日レポート

山の日レポート

日本山岳会『山』より

山の人、私たちの暮らし

2021.09.01

全国山の日協議会

地域発「山の日」レポート 日本山岳会四国支部 支部長 尾野益大

山の日が、国民の祝日という現実にだいぶん慣れた。その日が来るたび、自分の趣味が世間に認められているという気恥ずかしさのような感情も少しはある。
「今日は何の日?」ではないが、何とかの日は多数あるにせよ、国民の祝日は限られているのだから、自分の趣味が祝日と重なるのは、冷静に考えると奇跡のような話ではないか。実に重大だ。
ただ、私たちは既に山の日だから山に親しむ「人種」ではない。山の日ではなくても、山にしょっちゅう登って山に親しんでいる。知らず知らずのうち、山が出てくる本や雑誌、写真集、地図を開いてしまうし、テレビの山番組を探してしまう。
たまにしか登らなくなった元登山家も毎日、何分間か、何時間かはよき山の思い出を頭に浮かべているのではないか。これが、山を知ってしまった人の性だと思う。
アフリカで人類が生まれ、サバンナに出るまで森林の樹上にいた事実を考えれば、ごく当たり前のことかもしれないのだが。
山の日の一番大きな意味は、普段、山登りとは無縁に過ごす人々に日本が山国であり、知る知らないを問わず山の恩恵を受けて暮らしている現実に気付いてもらう点にある。濾過された清い水や酸素の供給源を挙げるまでもなく、山は人間の命と営みに強い影響を与えているのだから。

剣山で行われた「山の日」記念登山(2016年8月23日)

四国支部も年一度、山の日をPRする活動をしてきた。西日本第2の高峰剣山での植物観察会や講演会、高松市立図書館での山岳書の特別陳列などだ。
あえて山の日を前面に押し出してはいないものの、本部主催、四国支部が主管する小島烏水祭も山のPRに役立っているはずだ。「山の日のため」と明確に銘打たなくとも、山の日の趣旨にかなっていると思う。
カレンダーを見ずに年間の祝日を全て言える人はすごいと思っていたが、わが趣味を祝う日が含まれると、海の日や、体育の日に代わってできたスポーツの日の存在を改めて教えられ、海を思い、スポーツを思う。
逆にいえば、私たちが山の日に何もせずに放っておけば、8月11日が何の日だったかと世間から忘れられる可能性がある。ただ、今年は、オリンピック閉会日の8月8日に移動する特例が認められている。
日本山岳会、あるいは会員が活動するだけで、実は山の日の啓発になっていると思うが、普及と定着にはもうしばらく時間を要するに違いない。
しかし定着した後も、山に親しむ私たちの役割は重い。山の日を認めてもらうのがゴールではないと考えるからだ。
山の日協議会の会員に所属して配られた設立趣意書を読み直すと、山に関する問題が列挙されている。山林の荒廃、良質な水資源の確保、動植物保護、遭難事故対策などで、将来にわたっても課題は尽きない。

(日本山岳会「山」2021年5月号からの転載です。) 

高松市立図書館での山岳書の特別陳列(2016年8月24日)

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