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弥助の故郷で水源探査 ~モザンビーク便り2~
2021.06.28
1581年イエズス会の宣教師と来日し、織田信長の家臣となった黒人奴隷「弥助」。
今年の4月ネトフリのアニメ「Yasuke-ヤスケ」が配信スタートになり、ご存じの方も多いでしょう。
弥助は1582年織田信長が「本能寺の変」で死ぬまで付き添い、数奇な人生を送りました。
丸尾会員が水源探査を行なっているポルトガルの旧植民地モザンビークのニアサ州には、3つの部族が住んでいます。その内のYao族が弥助の部族でありYaosuke がYasuke になったものではないかと多く歴史家が推測しているようです。
6月28日 個人会員丸尾さんからのレポートです。
モザンビーク北端のニアサ州には、ヤオ族の他にニャンジャ族、マクア族の3つの部族が暮らしている。ニャンジャは湖と言う意味でニアサ湖の周りのみ住んでいる。マクア族はモザンビークのどこにでもいる人々で、人口希薄なニアサ州の隙間を埋める形で後から入り込んで来て、今では先住民であるヤオ族の人々と混じりあって暮らしている。
ヤオ族はニアサ州の他に、国境をなすルブマ川を挟んで北側、タンザニア最南端の地域や、ニアサ湖を挟んで西隣のマラウイの一部にも住んでいる。ヤオ族はポルトガルがこの国を植民地化する以前は、マカタ王国として独立国をなしていた。彼らは侵入してきたポルトガル勢力に対して最後まで勇敢に戦い、また、ポルトガルからの独立に際しては、真っ先に立ち上がった人達であった、と言われている。
私が泊まっているロッジのレシェプショニスト兼食事も運ぶ給仕。
両親ともにヤオ族であるが彼はもう一つの部族であるマクア語も話せる。
慎み深さは漂っている。
この大工もヤオ族である。 彼に井戸を掘る時に穴から上がってくる岩石のかけらのサンプル入れの箱を作ってもらった。ほとんど廃材のような木材からノコギリとカンナだけで器用に2時間ほどでも箱を作ってくれた。
ヤオ族とマクア族とが混ざっている。ほとんどが両方の言葉を話すバイリンガル。また学校ではポルトガル語で授業が行われているので実際はトリリンガル。
レンタカーの運転手ドミンゴ君、ヤオ族でマカタ王国のことを話始めたら止まらない。
当地で私が出会ったヤオ族の人達は、写真で見るように、弥助の末裔らしく精悍な一面もあるが、穏やかで控えめ、どことなく人の良さそうな顔立ちをしている。マプトから来た人がヤオ族の人々を指して、大変ホスピタブルで謙虚、昔ながらの質素な生活をしている、と表現している。私もまさに同じ印象を持っている。
山の日会員 丸尾祐治
モザンビーク、ニアサにて
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