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私の北アルプス物語 4日目 太郎平から折立へ

2026.08.24

山の日アンバサダー
三菱商事株式会社所属 プロスポーツ選手
高橋 勇市(全盲)

山の日アンバサダーの高橋勇市(全盲)さんの登山レポートです

2025年7月21日 月曜日

4日間の北アルプス大縦走も、いよいよ最終日となりました。
「終わっちゃうなぁ」という寂しさと、「やっと自宅に帰れるな」という煩悩が、私の胸の中で激しく火花を散らしていました。
下山後の目標はただ一つ。
無事に下山して、折立の自販機で冷えたコーラをしばくことです。
この壮大かつ卑近な目標を胸に、私は夜明け前の太郎平小屋を後にしました。
「まだ夜明け前」というより、「夜の真っ最中」と言ったほうが正しい午前4時です。
太郎平小屋の五十嶋文一(いそじま ぶんいち)さんに見送られ、出発です。

太郎平小屋前にて

昨年70周年を迎えたという太郎平小屋の記念誌をいただいたのですが、これがまた立派で、その重み(物理的にも、歴史的にも)に、私の気持ちは高揚していました。

太郎平小屋の70周年記念本

「よし、この貸し切りロードを、ゆっくり、ゆっくり、亀のような歩みで独占してやるぞ」そう心に誓い、一歩ずつ慎重に歩を進めます。
「教官! 私はドジで、ノロマな亀です!」とガイドさんに伝えたい。
気分はもう松本千秋状態です。
全盲の私にとって、山道は情報の宝庫です。
遠くで熊よけの鈴が「チリンチリン」と、心地よく聞こえてきます。
「おっ、あんな遠くに人がいるのか。寂しくなくていいぞ」
足元には、ガイドさんが「漬物石に使えそう」と評するような大きな石がゴロゴロ転がっています。
しかし、そこはベテランガイドさんたちの的確な指示が飛びます。
「右、10センチ」「そこ、またいで」
その神業のようなナビゲーションのおかげで、私は一度も漬物石に足をぶつけることなく、見事なステップ(自称)ですり抜けていきます。
おかげで予定よりも早く歩けています。

「これなら、コーラへの到着も早まりそうだな」
ニヤリとしたのも束の間、先ほどまで涼しかった山道もすっかり日当たりへと変わり、強烈な太陽光が降り注ぎ始めました。
「アチチチチ アチチチチ」
ゴールドフィンガーの歌詞が思わず口から出てしまいます。
日差しで焼かれる感覚と、体の中から噴き出す汗。汗が引く気配は微塵もありません。
私のコーラ欲は、この時点で限界を突破しました。
無事に三角点に到着。
ここで軽い行動食(通称:命のつなぎ)をいただき、いよいよ樹林帯へと向かいます。

うしろから下山写真

ここからはほぼ日陰になるので、あの灼熱地獄からは解放されます。
「ふぅ、これで一安心」
登るときに、これでもかと私を苦しめた「木の根っこ」たち。
下りでも、予定通り、見事に、期待を裏切らず苦戦させてくれました。
「おいおい、またお前か」「上りも下りも邪魔しやがって 腹が立つ」
木の根っこに心の中で悪態をつきながら、必死に下っていきます。
そんな時、登ってきた登山客の方から、とんでもない情報提供がありました。
「今から40分ほど前、山道で熊を見かけましたので気をつけ て下さい」
「熊??。」
その一言で、私の脳内コーラカウントダウンが一時停止しました。
シャケを咥えた熊の姿が頭の中でグルクルと巡り始めました。
ガイドさんの後に続き、木の根をまたぐ瞬間。この森のどこかに、熊がいるかもしれない。
お礼を言いつつも、心臓はバクバクドキドキ。
「熊さん、お願いだから、私がコーラを飲むまでは出てこないで」
熊のプーさんのような、愛らしい姿を想像しようとしましたが、無理でした。
信楽焼の狸の様なお腹ポッコリの熊の姿が目に浮かんできます。

樹林帯の根っこ

さらに下っていくと、登る登山客と次々にすれ違うようになりました。
「おはようございます」「凄いですね、頑張ってください」
声を掛け合い、少しずつ熊への恐怖が薄れてきた頃。
「あ、糞だ」
ガイドさんの声に、一瞬凍りつきました。
「熊の??」「うん。まだ新しいね」
ちょうど熊を見かけたと言われた時間から、おおよそ40分が経過した当たりの山道です。
そこには、熊の「証拠」が落ちていました。
「ひぇー!!」
糞を踏まないように気を付けるのはもちろんですが、それ以上に「近くにいる」
という緊張感で、足が震えます。
頭と顔を狙ってくるという熊攻撃。
ヘルメット君が頭を守ってくれるから大丈夫 自分に言い聞かせながら更に下って行きます。

狭い道 土壁

下山客も多くなり、道を何度も何度も譲ります。
遠くで「ブォーン」という車のエンジン音が聞こえてきました。
「おっ、車の音だ」
折立が近いことが判ります。
狭い土壁の間をすり抜け、土階段へと進んでいきます。

そして、ついに。
陽光がパッと当たり、樹林帯を抜けたことを肌で感じました。
「お疲れ様でした、折立に着きましたよ。」
ガイドさんの一言で、4日間の山行が無事に終了しました。
2年前と比べて、下山もだいぶ早くなりました。
折立横にあるキャンプ場は、熊がキャンプ場に入ってこないように、電気が流れている電線が針巡らせていました。
「やっぱり、熊、いるんじゃん ここにも」
さらに、2年前は「折立では携帯電話の電波は入らない」といわれていましたが、なんと電波が入るようになっていたのでビックリです。
「おぉ、文明の利器が、ついに折立まで到達しているとは驚きです」

しかし、もっとビックリしたのは。自動販売機のコーラが売り切れになっていなかったことです。
これぞ、北アルプスの奇跡。
命を繋ぐ、冷えたコーラ。
プシューッ、ゴクゴク、プハーッ。
うっめー ビール以上に美味しかった。
これまでの疲れも、熊への恐怖も、木の根っこへの恨みも、すべてがこの一本で洗い流されました。
あぁ幸せ。
あ。甘納豆と干した小魚食べるのを忘れていました。またやっちまった!!やばいっす!

(完)

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